2011年8月7日日曜日

生きるし、活きる。

仕事をしていた時になかった心の余裕を
研修に入ってようやく持てるようになってきた。
その中でこれまで考えることができなかったことを
いろいろ考えるようになった。

社会人になってからはそうもいかなかったが、
学生時代まで自分は競技人生の中に生活を置いて
生きてきた。競技人生そのものが自分の人生であった。
それはそれでよかった。誰しも人生の中でそういう時期が
必要なんだと思う。私にとっては円盤投げがそうであった。

しかし、今はどうか。いろんな事情があり、自分は企業に勤めることを選択し、
自分の生活の中に円盤投げを位置付けるようになってから、
今まで気が付かなかったいろんなことに気付き始めた。
自分の専門は体育である。これは紛れもない事実である。
しかし、私は企業に勤めることを選択した。そこには確かにいろいろな
事情があった。自分の中ではそれをうまく消化したつもりだった。
しかし、実は、企業に勤めることを選択した最も大きな理由の一つに
なり得る事実を今の今まで自分の中に隠していただけであった。
それは、自分が人と本気で正面から向き合った経験がほとんどなく、
また、そういう状況自体を無意識のうちに避けたがっているということである。
こういう人間は教育現場には不向きだと思う。

教育は何らかの手段を用いて人を今の状態から違う状態に変えることである。
人を変えることには相当量のエネルギーがいる。中途半端では人はなかなか
変わらない。人の忘れていくものである。だとしたら継続的な教育的取り組みが
どうしても必要になってくる。その分膨大なエネルギーを必要とする。

また、相手に変化をもたらすには相手の良いところも悪いところも知り、なおかつ
相手に伝える必要もある。誰しも自分の悪いところを指摘されることは気持ちいい
ことではない。でも、伝えないことは本当の優しさではない。それはみんなわかっている。
でも、関係が壊れるのを恐れたり、自分が嫌われるのを恐れたりして、重要な一歩を
なかなか踏み出せない。しかし、教育者たるものは、生徒の将来のためであれば、
自分が嫌われ役になれなければならない。自分が犠牲になれなければならない。

自分にはその覚悟がなかった。だから、実は体育教師にならなかったのではなく、
なれなかったのだと思っている。

今、この活動は自分を変えるチャンスだと思う。
体育がどうのこうのは関係なく、自分のことは二の次にして相手のためになれる人を
かっこいいと思うし、尊敬する。
そういう人になれるように、この2年間活動をしていきたいと思う。

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