2012年6月28日木曜日

マラウイ陸上競技選手権と活動の写真

ネットの状況がいい時でなければアップできないので一気に。

まずは、マラウイ陸上競技選手権大会の時の写真。


うちの生徒と一緒にエントリー中

開会式
とてもいい天気だった。

早速砲丸投げ練習投擲開始。
1投目と2投目はグライド投法を用いて、
3投目は回転投法を用いて投擲。
記録は2投目に投げた13m65cmが残った。

砲丸投げ試合後はグライド投法と
回転投法を教えてくれ、の嵐。
嬉しくてたまらない瞬間だった。
なので時間の許す限り教えましたv

砲丸投げの表彰式。
左の2位の人は代理。
右の3位の人はウエイトリフティングの選手。

専門の円盤。もちろん本気で臨んだものの
結果は42m15(1投目の記録)。
2投目は46くらいはいったかなと思いきや
ファールをとられてしまい、
3投目は失敗投擲で終わってしまいました。
練習投擲が一番素直でよかったなぁ。。
よくあることです。
それでも楽しかった!

円盤投げの表彰式。
2位の人のデカいこと。。


ここからは、同期隊員が活動見学に来た時に撮ってくれた写真。

このクラスは生徒数7人と少ない。
科目名は陸上競技フィールド種目。
2学期最後の授業ということで総復習をした。


実技科目ではあるがこの日は座学。
試験前の総復習を。
生徒は真剣。
生徒の質問にシドロモドロの英語でこたえる。。

2学期最後の授業であるとともに
実は本大学卒業前最後の授業でもあった。
そこで1枚記念撮影。
人数が少ないこともあって一番一人一人への
思い入れの強いクラスであった。
卒業後はそれぞれセカンダリースクールで教壇に立つ。
私が教えたことを少しでもいいから役立ててほしい。
彼ら彼女らなら大丈夫!!

授業後、和気藹々

授業が終わったら部活。
まずは、「みんな元気かー??」から。

私が教えたストレッチ。
分かってる人は分かってる。
分かってない人はとりあえず形だけ…の状態。
それでも、
それが何のためにやっているものなのかを
逐一教えることで徐々に分かってきたみたい。

部活後は夕食。
メニューはもちろんカレー。
しかしこの日は人任せ。。ゴメンなさい。
あるもの片っ端から何でも入れて、
結局は味噌カレーになってました。
でも、うまかったぁ~

2012年6月21日木曜日

マラウイ陸上競技選手権大会結果

6/17、マラウイ陸上競技選手権大会兼ロンドン五輪選考会に
円盤投げと砲丸投げで出場した。結果は以下の通り。

■円盤投げ 42m15 優勝
■砲丸投げ 13m65 優勝

記録はともかくとして、ちゃんと優勝したことと
マラウィアンに投擲というものがどういうものなのかを見せることができてよかった。
試合後は円盤投げのターンと砲丸投げの回転投法・グライド投法を教えてくれ!
の質問攻めにあって、マラウイでこれほどまでに投擲に興味を持ってもらえたことに
感動を覚えずにはいられなかった。

表彰式の時、円盤投げ2位の選手は
「今回は10m以上差をつけられたが、来年は気をつけろよ」と
私に対して闘志剥き出しであった。その言葉に見合う程練習してくれると有難い。

身長185cm体重推定130kgの巨漢の持ち主である砲丸投げ2位の選手は
力自慢というプライドに傷がついたらしく、表彰式には代理を立てて彼自信は
表に出てこなかった。彼は帰り際に挨拶した際も一切愛想よく笑ってくれなかったが、
帰路とことこ歩いてると偶然彼も車で家に帰る途中だったらしく
拾ってくれて途中まで乗せてくれた。
きっと、愛想は悪いが心優しい力持ちなんだろうと思った。

引率した男子生徒もやり投げで3位入賞を果たした。
その生徒は私の試合中から試合後にかけて私の付添人のように
私から離れることがなかった。彼は素直でとてもわかりやすい。
私の好きな生徒のうちの一人だ。

この日、円盤と砲丸を通じて本当に多くの友だちができた。
自分がこれまでの人生の中で多くの時間を費やしてきた円盤投げと砲丸投げが
こういう形で活かされたことは私にとって本当に嬉しいことであった。

また、その効果はその日だけに留まらなかった。
試合の翌週、大学に出勤したら数名の生徒が大会を見たと寄ってきてくれた。
その目は明らかに以前私を見ていた目とは違うものだった。
同僚の大学教員も、来年大会に円盤投げで出場したいから
トレーニングを一緒にやりたいと言ってきた。
体育専門の血が騒いだのだろう。

今大会、私個人としてはなかなかうまく投げられず悔しい気持ちもあったが、
それを全てかき消すほどに得るものが多くあった本当に有意義な時間であった。
自分の持っているものをできる限り伝えること、それがこの国の人たちに対して
自分のやるべきことなんだと再確認できた時間であった。

2012年6月4日月曜日

日本陸上競技選手権大会


6/8-10の3日間、大阪の長居で日本選手権が開催される。

大学2年の時初めて参加標準記録を突破して以来
昨年の日本選手権に至るまで9年連続出場してきた試合。

日本選手権は自分にとって一年の中で最重要の試合である以上に
人生の楽しみの一つでもあり、生きがいである。
試合一週間前ともなれば、興奮、自信、不安、高揚、抑制、期待、
いろんな気持ちが胸の中で複雑に混じり合い、なんだか不思議な
感覚に陥る。それを試合に向けてしっかり静かに調整し統制していく。
競技をやってきた中でも特に特別な心理状態を味わえる期間である。
この感覚を客観的に味わえることができる時は大概調子がいい。

今回は10年連続出場が途絶えたわけだが、それでもそれに似た
不思議な感覚に陥ってる自分がいるのがわかる。
何故かはわからない。異様に興奮しているような気がする。
心拍数が速くてなんだか疲れる。

もしかしたらそれは、6/17に開催されるマラウイ陸上競技選手権大会に
出場できるからなのかもしれない。日本選手権とは開催国が違うだけで、
ロンドン五輪の予選会であることには何一つ変わりないわけだし。

あるいは、マラウイで試合に出られるなんて思っていなかったが
急遽出られることがわかり、その反動で試合の種別関係なしに気持ちが
異常に高揚しているだけなのかもしれない。

いずれにしろ試合は生活に張りを生み出す。
久しぶりのこの緊張感を味わいつつ試合に臨みたい。


PS.試合2週間前にして試合開催期日が一日スライドしました…。
   (6/16→6/17) この国ではフレキシブルな調整が必要そうです。



2012年6月1日金曜日

活動の話。


私は本学でバレー部のコーチをしている。


一昨日のこと、

なかなか集まらないバレー部の生徒が久しぶりに結構な人数
集まったため、ああだこうだ技術的な指導した。
しかし、私の語学力の問題でなかなかうまく伝わらず、
もともと彼らとの信頼関係が構築できてる段階ではなかったこともあり、
ある一人の生徒が呆れてあまり話しを聞かなくなってしまった。

普段から自己主張の強いなかなか癖のある生徒だとは思っていたが、
昨日の彼の態度は特に顕著だった。
あのコーチのいうことは役に立たない、と判断されたのだろう。
何言ってるかわからないし、みたいな感じで。

その生徒の態度は他の学生に伝染し、
チーム全体の雰囲気まで悪くなったようだった。

しかし私と言えば…、その時何もできなかった。
そしてとりあえずその日の練習が終わり、
夜家に帰ってからもどうしていいかわからなくなり落ち込んだ。
(普段あまり深く落ち込むことはないのだが...)

特にこれと言った解決策も見い出せずに、次の日を迎えた。

今週末、世界ユニバー予選会のマラウイ代表を決める選手選考会が
本学で開催されることもあって、この日も特別にバレー部は練習をした。
しかし、彼らは今週末大事な選考会があることを知っていながら
単なる遊びとしか思えない、完全に腑抜けな練習をしていた。
気合いの気の字も感じられない状態であった。
前の日の悪い雰囲気を引きずっているようであった。

私は前の日に何にもできなかった自分に対するもどかしさと、
このまま生徒が数少ないチャンスを逃してしまうんではないかという
もどかしさでついには我慢できなくなり、話して通じないならと思って
生徒の練習に混じってただただ本気でプレーをした。
別にやけくそになったわけではないが。。
ただ、バレーボールっていうのはこうやってやるんだということを
どうしてもわかってもらいたかった。
どうしても今、本気になってもらいたかった。

私は全力でプレーをしたが、もともとそこまでのスキルを
持ち合わせていないこともあってミスを連発。
しかし、最後まで一切手を抜かず全力のプレーに徹した。

練習後、前の日に一悶着あった生徒の態度が一変していた。
自分はチームみんなのスキルをあげるためにこういう練習がしたいんだけど
どう思うか、とアドバイスまで求めてきた。
気が付いたらチーム全体の雰囲気も変わっていた。

その時、結局は全部自分のせいだったんだと気が付いた。
自分が全力じゃなかったからいけなかったんだと。

それと同時に日本での2カ月の研修時にJICAからもらった
シールのことを思い出した。そのシールにはこう書いてある。
『行き詰まりは環境のせいではない。自分の心の行き詰まりである』と。
まさしくその通りだと思った。
何か問題が起きた時の原因の所在を他に求めるのではなく、
まずは自分に何か原因があるんじゃないかと思わなければいけない。
そんな当たり前のことを完全に忘れていた自分が恥ずかしくなった。
教師と生徒という立場関係がそうさせたのかもしれない。
しかし、どんな立場であろうともいつも謙虚でなくてはいけないという
根本的なところがごっそり抜け落ちてた。
今気付けたことはラッキーだったと思わなければいけないと思う。
あと、約1年4カ月はあるんだから。

以前、このブログでイノベーションに関する本を読んだことについて書いた。
自分が自分を取り巻く周囲の状況を変えたいと思った時、
自分がその変化の一部にならなければ周囲を変えることはできない。
私は既にこのことをその本から学んだはずだった。

日々うまくいかないことは数多くある。
でも、その一つ一つに対して自分がどういう態度をとるべきなのか、
自分がここにいる意味を今一度考えなければいけないと
思わされた一件だった。