2012年9月28日金曜日

夢を追いかけることの意義と難しさと…

大学の時の投擲のある後輩君は
その当時砲丸投げを専門にしていた。
大学入学当初は推薦最弱だった彼が、
大学を卒業する頃にはその学年では最強ランクに位置した。
全国大会でも入賞するまでになった。

彼はいづれそうなるだろうと思っていた。彼の入学当初から。
彼は天才だったと思う。
自分をとことん追い込みきることに関して、彼は天才だった。
(すぐ調子に乗るヤツだったので、当初は推薦最弱と
 バカにしまくっていたが。。)

投擲のトレーニングにはウエイトトレーニングを
よく用いるのだが、彼はよく一人で潰れていた。
ちなみに投擲界でウエイトトレーニングの際に用いる
“潰れる”とは、最大拳上回数を超えたことで
ウエイトの拳上が自身ではできなくなることを言う。
潰れるまで拳上を反復する方法は筋肥大を狙った
トレーニングでよく用いられるが、
潰れるまで追い込みきるセットを繰り返し
行い続けることはどうしても集中力を欠くことになり、
神経系にも悪い影響を及ぼす可能性があることから
科学的にも決していいトレーニングとは言えない。
何よりもしんどくてそう何回も潰れることはなかなかできない。

また、一人で潰れることは安全上、決していいことでもない。
稀に危険を覚悟して、一人で潰れそうな場を
意図して設定することもあるが。
背水の陣を布き、火事場の馬鹿力を期待するのである。
そうやって集中力を極限まで高めることで
最高品質のトレーニング効果を求める方法である。
しかし、危険をわざわざ目の前に設定して
それをなんとかクリアしようと目論むようなことは
なかなかできるものではない。
一人で潰れるということはそういうことである。

それを入学当初の彼は一人で何回も繰り返しやっていた。
あれを非科学的と言ってただ笑っていた人もいたかもしれない。
でも、彼ほど自身を追い込みきることのできる人間が
正当なトレーニング方法を見つけ、そのレールに乗った時には
恐ろしく成長すると思っていた。
さらに、彼のように半分狂ったように追い込みきるやり方は
トレーニング場の士気を高める上でもかなり効果がある。
投擲や陸上の枠組みを越え、そのトレーニング場にいたことで
彼によって士気を高められた競技者も大勢いたのでは
ないだろうか。

ある日、そんな彼がこれから第2の人生を歩むという
連絡をくれた。私は、競技人生を終わらせ、
社会人として働く道をゆくのかと、その時は思っていた。

でも、実際はそうではなかった。
昨日、人伝いに知ったのだが、
なんと彼はプロボクサーを目指しているとのことなのだ。
驚いた。が、それよりも羨ましく思った。
自分にはできない決断の類だったからだ。

私も学生時代は円盤投げ一筋でやってきた。
もちろん卒業後も競技中心の人生を続けたかった。
自分にうんと言えるところまで突き進めるだけ突き進みたかった。
しかし、結局はそれを自ら諦めた。
円盤を中心にした生活の選択は、保障無き未来に自分を
投入するということでもあり、その不安に押しつぶされることなく
競技に集中することができるだろうかという不安に苛まれたためだ。
結局は自分にいろんな言い訳を用意して
自身を納得させることで円盤中心の生活をヤメタ。
円盤投げ自体はやめなかったわけだが。

今は、その時に自分が選択した道を進んでいるのだが、
今の自分が仮にあの時に戻れたとしても、
やはり今辿ってる道と同じ道を選択するだろうと思う。
というより、いくつになっても、私にはこの道しか選択できない。
夢を追いかけるには、それに伴う犠牲を払わなければいけない。
私にはその犠牲は重すぎる。
私にはその犠牲を払うだけの勇気と覚悟がない。
きっと私の夢というのも結局はそれだけのものだったんだろう。
夢という表現を使うことも恐れ多いほどに。。

私は最近、一度きりの人生なんだから、
死ぬ時に悔いのないように生きよう、とよく思う。
だから今ここマラウイにいるんだろうし、
だから好きな人にはちゃんと思いを伝えようと思うんだと思う。
しかし、自分を取り巻く社会においては、
実際にはいろんなシガラミがあって自分のわがままを
押し通すことができない場面が多々ある。
それでも、周囲に振り回されず、自分のやるべきことを見失わずに
生きていくことが必要で大切なことだから、余計悔いのないように
生きようと強く思うのだと思う。

とある後輩君もそう思ったのではないか。
私と違うところは、悩みに悩み抜いた結果、
それでも自分の可能性に挑戦したいという欲望が勝り、
一歩前に足を踏み出したというところだ。
その決断ができたこと、本当に凄いことだと思う。

この先彼には大変な人生が待っているかもしれない。
思うようにいかないことが本当にたくさんあるかもしれない。
でも、陸上を通して学んだことはどの世界にいっても
必ず役に立つと思う。腐ることなく、自分が決めた道を信じて
突き進んでほしい。私を含め、周囲の人たちにとって
とても大きな刺激になっていることを誇りに思ってほしい。

最後に...
たまに潰れることは後にいい効果を生むが、潰れ過ぎには注意。


2012年9月27日木曜日

生徒のいない期間

Distance ProgrammeのFacilitationが明日で終わる。
明日、Distanceの生徒(現職のSecondary Schoolの教員)は
自分の職場に帰り、またそれぞれが持つ生徒の指導にあたることになる。
Facilitationで教えた、ウォーミングアップやクーリングダウン、
安価で簡単に入手可能な道具を使ったハードル走や走り高跳びは
ちゃんと授業に取り入れてくれるだろうか。。
学んだことを少しでも活かしてもらえればと思っている。
いづれは個人的にSecondary Schoolを巡回して
体育授業の様子を見てまわろうと思っている。
その時どうなっているかを楽しみに待つことにしよう。

さてさて、うちの大学といえば、Distanceの生徒は自分の職場に戻るし、
次のFace to Face Programmeの生徒の授業の始まりは10/15なので、
2週間程生徒のいない期間を迎えることになる。

私としては、身体がなまってどうしようもない時期を迎えることになるので
早く10/15からの1学期が始まってほしいところでもある。
始まったら始まったで朝練・授業・部活動で手一杯になるのだが、
やっぱり生徒と一緒に何かをやってるときが充実していて好きだ。
2年目は1年目以上に生徒と一緒に何かしらの活動をしている時間を
増やしたいと思っている。体力勝負になること間違いなし。
でも、体育隊員はこうあるべきなんだろうと思う。ガンバロ。


今日は、この生徒がいなくなる期間突入で暇になる同僚に
バスケットボールを教える予定。
同僚はうちの体育教員の一人であるので、もちろんバスケットボールが
どんなものかという知識は持ち合わせているものの、
スキルは持ち合わせておらず、それをどうにかしたいとのこと。
確かにここマラウイではバスケットボールがやられる機会は極端に少ない。
体育教員としてそれをどうにかしたいと思い、行動に移すところに
プロ意識を感じる。私は彼のそういうところが好きだ。
マラウイに来て1年が経ち、中弛みしつつある私も見習わなければと思う。
では、気を引き締めて、教えに行ってきます!


2012年9月25日火曜日

第3号報告書開示(2012/9/21提出)


要請内容である授業と定期テストの実施をFace to Face Programmeの学生とDistance Programmeの学生(現職教員)を対象に実施している。私の行う授業そのものが教授内容の質や量、教育者としての態度の一つのモデルになり得ることを念頭に置き授業を行っている。残りの任期も授業準備をしっかり行い活動を行っていく。
本大学は比較的ハード面(体育館・用器具)が充実しているが、現状それを最大限有効活用するには至っていない。そこで有志学生による朝練習と部活動をたち上げた。高いモチベーションを維持できない学生には、学生がトレーニングの成果を発揮する場面(試合)を設けることで生徒に明確な目標を与えたい。
また、学習環境を整えるために体育館や用器具庫の5Sを実施している。整理整頓は実施済で良好な状態が継続しているが、体育教員のOFFICEに関しては良好な状態が継続していないため継続的に5Sを促していく。
教科書の改訂と増刷に関しては、Face to Face Programmeの学生用のModuleがないため提案したものであったが、CIDA(The Canadian International Development Agency)の寄付により発行されているDistance Programmeの学生用のModuleを一部転用可能であるため計画から外すこととする。
P.E.departmentの教員の継続的改善体質の確立と教員間の結束力を図ることを意図した週一での会議の開催に関しては、当該教員に対して提案・了承済ではあるものの、各教員が入れ替わりで出張に出向く必要のあるTeaching Practice(現職教員を対象とした授業指導及び評価)があったため開催できていない。今後新学期開始と同時に開催する予定である。
現地支援制度活用計画については、マラウイ唯一の体育教員養成機関である本大学において不可欠な筋力トレーニング機材の申請を考えている。また、マラウイ国内にラジオ体操を広める上で必要となる音源、ラジオ体操解説冊子及びその配布に係る費用申請を考えている。


2011年9月27日にマラウイに到着してから早1年が経とうとしている。
はやいなぁ~というのが率直な感想。
この1年を振り返りつつこの先の2年目をどうしていこうかと
いろいろ考えたけど、やっぱり大筋は2年目も一緒。
目の前の生徒に対して全力を尽くすこと。
バリバリ鍛えあげるぞー

2012年9月19日水曜日

モザンビークへの旅

マラウイの東側に隣接する国モザンビーク。
一週間かけて旅をしてきた。

陸路で国境を越え、モザンビーク側の国境の街マンディンバを経て
ミニバスでクアンバという街まで行き、電車に乗って約11時間揺られ
モザンビークの第二の都市ナンプラに辿りつき、ミニバスで
最終目的地のモザンビーク島に至るまで、
片道移動だけで3日をも要する長い旅路だった。

モザンビークは昔ポルトガル領だったこともあり、
言葉はポルトガル語。
もちろん話すことはできず、英語ができる人を見つけた時に
言葉の通じる喜びを噛みしめることになるという
不思議な感覚を味わうこともできた。

モザンビークでは1992年まで内戦があったこともあり、
電車の車窓から戦車の抜け殻を見ることもできた。

モザンビーク島では久しく口にしていなかったシーフードを
食べることもできた。海から獲れたばかりのイカの刺身は
本当に甘くて美味しかった。一緒に行った友たちが
マラウイから醤油とわさびを持ってきてくれたため、
日本の味を味わうことができた。
イカがこんなに旨かったなんて知らなかった。
また、マラウイにはない生ビールも堪能できた。
久しぶりだったので、あまりの旨さに少々飲み過ぎてしまったが…

モザンビーク島で要塞に行った時には
もっと歴史をしっかり学んでおけばよかったと後悔。
しかし、歴史を学ぶ意味を認識できただけでも得たものは大きい。
自分にとっては大きな前進だ。

モザンビーク島から見るインド洋は
これまで見てきた海の中で間違いなく最も綺麗だった。
しかし、小さい頃綺麗な海を見た時の感動には劣るものだった。
きっと、自分が変わってしまったんだろう。
いろんな経験をしていくにつれ、想像できる範囲が広がってくる。
その想像を絶するものでなければ心から感動できなくなって
しまったのかと思うと、なんだか寂しい気もする。

この旅の中で思ったことはたくさん。
本当に有意義な旅だったと思う。

この世界は広いけれど、行こうと思えば
ある程度どんなところにだって行けるんだって思った。
自分がまさかモザンビークに行くなんて…
考えたこともなかったよ。

2012年9月6日木曜日

東への旅へ。

当然のことではあるが、こっちに来て人生初を味わう機会が多い。

今回もそのうちの一つ。

ちょっと1週間程、旅にでてきます。

連絡取りづらくなります。悪しからず。。