2011年11月28日月曜日

教育への情熱

金曜日の帰り際、カウンターパートが話を切り出してきた。
その内容は、明日の朝から毎週土曜日の早朝に
有志の学生を集めて何かしらの運動をしたいので
もし来れそうなら来てほしいとのこと。

この大学はsecondary schoolの現職教師の再訓練をする教育機関であり、
そうでない生徒もいるが生徒の多くは教師である。
カウンターパートは、教師が運動習慣を持つことは子どもたち(生徒)の見本になるため
大変重要だと言っている。その運動習慣を身につけるための第一STEPとして
こういった取組みをどうしても始めたいとのことであった。
これまでにはない熱を感じた。

私には正直、これまでカウンターパートがどれだけ教育に情熱を持っているのか
解り兼ねる部分があった。彼は若い時に各々約1年ずつアメリカとドイツに留学してた
経験を持ち、そこで体育を学んできている。そして現在の年齢は55歳位であろうか。
経歴から言ったら、まさに体育指導方法論を熟知している大ベテランと言ったところであろう。
しかし..カウンターパートの今の授業のやり方に違和感を覚えざるを得ない。
私にとって、その違和感がどうしても教育への熱を感じさせるに至らしめなかった。

しかし今回のこの件は、少なくとも私にとってカウンターパートの教育に対する熱を
実にわかりやすく感じさせてくれた件であり、私としては本当に嬉しかった。

もちろん参加することにした。
朝の5:15、大学の体育館に集合。
お題はそのときどきで変えて行くらしく、今回は道具が充実している
バドミントンをやりたいとのことであった。
朝早いのは大変苦手であるが、嬉しさが勝っていた分、
珍しく苦も無く起きることができた。

体育館に行ったら既に学生が体育館脇の広場でW-upを始めていた。
大学から家が遠い生徒はいくら意欲があっても来ることができないのでしょうがないが、
中にはこういった志の高いというか、スポーツが根っから好きなマラウィアンが
いるんだということを確認することができ、それだけで収穫であった

マラウイでは体育単独の教科が無い。
Expressive artsという教科に包括されている。
情操教育の一環としての位置付けであり、起ち上げからの日も浅い。
体育の意義はまだまだこの国に浸透しているとは言えない。
おそらくはMinistryでさえ浮き足だった状態なのではないだろうか。
そんな中では末端に行けば行くほど方向性を見失い混乱を生じさせる。
学校教育の中に体育を取り入れることの意義。
おそらくは先進国に倣った新たな取り組みの一つであり、
その意義は先進国で現行されているものと同じだと思うが、
今この国に求められている力の一つが、
まさに情操教育によって培われるものだと強く思っている。

何もないところから何かを生み出す力、創造力。
既存のものを真似るだけではなく、自分たち用に変える力、工夫する力。
自分へ課した約束を守り続けることで培われる力、自信。 など。

マラウイに限らず多くの発展途上国では同様の様子が伺えるのかもしれないが、
産業は先進国に牛耳られ、道を走る車には
〇〇老人ホーム等の日本語が書かれており、
道端にはビニール袋等の土に還らないゴミが散乱している。

こんな状態を見て私は、本当のマラウイはどこにあるんだろうかと思ってしまう。
これが本当のマラウイであるのならば、私は悲しい。
そしてこれが今マラウィアンが望んでいるものなのだろうか。
マラウィアンにとっての本当の幸せの形に向かって進んでいるのだろうか。

自分が今のマラウィアンに対してどんな体育の授業をするべきなのか、
せめて自分の中だけでもはっきりとした方針を持って授業をしていきたい。。

2011年11月23日水曜日

今日の出会い

今日は2人との出会いがあった。

一人はウォッチマン。
協力隊は治安の面から原則として必ず住居に警備員を
配置しなければならない。私が現在住んでいる家は
大学の敷地内にあるため、そんなに治安の悪い場所のようには
思わないのだが、カウンターパートに相談したところ、
つけることをお勧めするとのこと。最近は大学内でも盗難が頻繁に
あるようで、カウンターパートもわりと神経質になっているようだ。
蛇足ではあるが、このカウンターパートは私の前任のボランティアも
担当していたためか日本人っぽいところがある、ように思う。
そんなこんなで、カウンターパートにウォッチマンを紹介してもらった。

カウンターパートは午後に紹介するからと言っていた。
その午後、カウンターパートとOfficeにいると、ノックをして入ってくる
おじいさん2人。学生ではないだろうし、いったい誰だろうなと思っていたら
その片方がウォッチマンだった。どうやらカウンターパートの知り合いが
その友人である彼をウォッチマンとして連れてきたらしい。
カウンターパートからは、昔Prison(刑務所)で働いてて今はリタイヤ(退職)
しているけれど体が大きくていい人だというような説明を受けていたため
大いなる期待をしていたのだが、決して体が大きいわけでもない
ヒョロヒョロのおじいさんだったので正直ガックリであった。
しかし、話をしてみたところしっかりやってくれそうな
印象を受けたのでそのままウォッチマンをお願いすることにした。

彼の名はギルバート。推定60歳。
今私の家の外で初仕事をしている。
しかし…犬に噛み付かれたりしていないだろうか。
心配だ。。携帯の番号を教えてと言ったらお金が無いので持ってないと言ってた。
ここマラウイではかなり携帯電話が普及しており、お金に困っている人でも
大概は携帯電話を所持している。マラウイで持ってない人を見たのは初めてだった。
そのこともあってか、家でご飯はちゃんと食べてきたんだろうか、
家族はいるのだろうかと心配が心配を呼んでどうもこうもし難い状況になっている。
考えたらきりがない。しかし、ここで出会ったのも何かの縁。
よくコミュニケーションをとりながら、必要だと思ったことを少しずつやっていけたらと
思っている。長い付き合いになります。どうぞよろしくお願いします。


もう一人は学生。と言ってもうちの学生ではない。
仕事が終わって家に帰って料理を作っていたら、誰かが玄関をノックした。
玄関のカーテンを開けたてみたらそこに彼女が立っていた。
彼女は何か深刻そうな面持ちで話したいことがあると言った。
どうやら家に帰りたくても帰れずに困っているらしい。
道に迷ったのかと聞いたら、それもだけど、お金もなくて家まで帰れないとのこと。
ナイフで木彫りをしてペンをつくったり皿を作ったりしてそれを売って生計を立てて
いるのだが、そのグッツが売れなくて家まで帰ることができないらしい。
彼女はそう言って背負っていたバッグを開け、そのグッツを見せてくれた。
確かにどれも手作りだけど良くできている。
しかしまぁよく売れ残ったものだ。バッグがパンパンでもうこれ以上入らないと
いうくらい入っている。現にファスナーは壊れていた。
いくらかと聞いたら一つ500クワチャ(日本円にして250円)。
500クワチャあれば家に帰れるのかと聞くとそうだと言った。
陽ももうそろそろ落ち始めており、暗くなると危ないので
とりあえずバスデポ(バス停)まで送ることにした。
途中さらによく話を聞くと、実は親がいないらしく、自分が他2人の兄弟の分の
面倒も見ているとのこと。何とも言えなかった。
とりあえずお腹が空いていたようだったのでバスデポ付近のマーケットで
ポテトフライを買ってあげ、そこで彼女の手作りペンも購入した。
これで家に帰れる。彼女はありがとうと言ってほっとした面持ちで帰っていった。

要請活動外ではあるけれども、自分がマラウイに来た意義があったのでは
ないかと、そう思わずにはいられない出会いであるとともに、いろんなことを
深く考えさせられる、私にとってはインパクトのある出会いであった。

手作りペン

2011年11月21日月曜日

マンゴー

前回、マンゴーアレルギーへの懸念について呟いたが、
まさか本当に自分がマンゴーアレルギーになるとは
思ってもみなかった。

土曜、朝起きたら顔が腫れあがってってて目が半分しか開かない。
なんだか顔が痒い。首にも同じような症状が。。
JICAの健康管理員に連絡。。マンゴーアレルギーの症状のようだとのこと。
病院に行くようにとの指示が出た。
自分も調べてみたところ、確かにマンゴーアレルギーの症状である。

マンゴーそのものは実はウルシ科の植物であり、かぶれを起こす果物として
有名とのこと。マンゴーの主要アレルゲンはカルドールと呼ばれるものらしく、
主にマンゴーの果皮の部分に含まれるが、果肉にも少量存在するため、
少し食べてみて口の周りの様子がおかしくなったり、
食べる前に皮膚に少し当ててみておかしくなったりしたら食べない方がいいようだ。
あと、情報源が定かではないので本当か否かは不明ではあるが、
空腹時に食べるのは極力避けるべきだということと、1日4個までを限度とすること
など、マンゴーを食べる上で注意すべき点がいくつか存在するようだ。

昨日家から2時間ほど離れたBlantyreというマラウイで最も栄えている都市の
病院に行き早速診てもらったところ、マンゴーアレルギーではないか、とのこと。
飲み薬と塗薬をもらって帰宅。
なかなか直ぐには薬が効いてくれないようではあるが、
それでも症状は僅かながらに改善の一途を辿っているように思う。

今朝、一応出勤してみたものの、カウンターパートに家で休んでなさいと言われ、
あえなく帰宅し療養中。カウンターパートはマンゴーアレルギーなんて
聞いたことがない、と言っていた。

ここMalawiにはあちらこちらにマンゴーの木があり、今がちょうど旬な
食べ物のようである。そのため、どこに行ってもマンゴーを
安く(日本円にして5円程で)手に入れることができる。
それにしても、マラウィアンにはマンゴーアレルギーなんてないのだろうか。。

いづれにしろ、Malawiでの食生活の楽しみの半分をも失った気分である。
そして、アレルギーなどとは無縁と信頼をおいていた自分の体に
裏切られた気分でなんともやりきれない思いが募っている。

月曜日はもともとしばらくは私の受け持つ授業がないことになっていたため、
授業が遅れることはないので、その面では少し安心している。
が、明日の朝からもちろん授業があるわけで、準備は今日のうちにしておく必要がある。
痒みを我慢して準備を進めようと思う。

2011年11月17日木曜日

新しい趣味

最近、生活が充実している実感がある。
というのも、生活の中に楽しみを見つけたからだ。
それは、料理。

仕事が終わる頃、ワクワクしながら頭を巡らせているのは
「今日は何を作ろうか。。」ということ。
何を作ろうかと言っても、近くのマーケットで売られている
食材の種類には限りがあり、作れるものなんてたかが知れてるのだが、
それでも頭を巡ってしまう。

以前の自分からはまるで想像できない。
これまでは料理に関してはそれくらい面倒なものとして捉えていたためだ。
学生時代もほとんどが外食。
洗い物も好きではなかった。

なぜここにきて急にこうなったのかは自分でもわからない。
使い勝手のいいキッチンのせいか、先週の日曜日に買ったお気に入りの
山羊肉のせいなのか、思い当たる節と言ったらこんなもんだ。
しかし、イマイチぴんとこない。真因は別にありそうだ。
いずれにせよ、毎日楽しみながら料理をして、しっかり食べている。

いくらマラウイでも外食はやはりお金がかかる。
その上メニューと言えばほとんどがチキンorビーフwithライスorシマ。
不味くはないが、これじゃあ栄養も十分にとれない。
満足感も得られない。
2年間こっちでそれなりの成果をだすためには、
大前提として心身が健康でなければいけない。

そんなこんなで料理はしっかりしようと思っていたわけではあるが、
これまで『苦』と思っていたものが、いきなり『楽しみ』に変わったのは、
自分でも予想外のことであり、ラッキーであった。

協力隊でマラウイにきたら、男は痩せ、女は肥えると言われている。
私はというと、今現時点で既に▲5kgでありマラウイの洗礼を受けているものの、
料理が好きなせいでこれ以上痩せる気はしない。

今日で料理が楽しいと初めて実感してから3日が経つ。
これが3日坊主で終わらなければいいのだが。。


今日の夕食。これにライスとデザートのマンゴー。
マンゴーは最近ほぼ毎食食べてる。
しかし、マンゴーアレルギーになるんじゃないかと懸念もアリ。。

2011年11月15日火曜日

円盤好き

今日、仕事が終わってOfficeから出たところに
子どもたちがぞろぞろと。
私を見るなり寄ってきて、『円盤投げたい!』って。
土曜日円盤初体験した子どもたちだ。

何で私がここにいることを知ってるんだろう。。
どこから情報を仕入れたのか??
それだけ円盤が投げたかったということなんだろうか。
…スゴイな、子どもたち。

たまらん。

ということで、早速グラウンドへ。
円盤って、やっぱりいい。


'Keep safety line!'を守る子どもたち

カメラが大好きな子どもたち

2011年11月14日月曜日

My house

Bedroom

Kitchen

今日の夕食

今日はマーケットで買ってきた山羊の肉を調理。
山羊を食べるのはもしかしたら初めてかもしれない。
山羊の肉は乳牛に似た甘いミルクのような匂いがして
自分好みの肉。ただ、めちゃめちゃ固い。。

ついでに入れたキャベツまでなぜか歯ごたえがよくて、
なかなか噛みきれず大変な夕食だった。が、
おいしかった~

山羊肉定食

Malawiに自分の銅像を建てるための第一歩

マラウイ記録保持者の育成。
これをすることでMalawiに自分の銅像が建つとは到底思えないが、
マラウィアンをコーチングしてマラウイ記録保持者にしたいと
いうのが目論見の概要。
種目はもちろん陸上競技。とりあえずは自分の専門種目である円盤投げ。

昨日、午前中Secondary schoolのグラウンドで円盤を投げていた。


Secondary schoolのグラウンド

そこに子どもが5人寄ってきて円盤を投げる私のマネをし始めた。
どうやら子どもたちは円盤に興味深々。
投げるかい?と声を掛けたら喜んで近づいてきた。かわいい。

円盤の握り方だけ教えて、あとはこうやって投げるんだと
お手本を見せて投げさせた。
そしたら↓↓



握り方しか教えてないのにパワーポジションがしっかりとれてる。
リリース後しっかり円盤を見ている。
…だいぶスジがいい。

Malawiの未来はきっと明るい。

2011年11月12日土曜日

本引越

一昨日、MIEのDormiから当初予定してた家への引越をした。
待ちに待った、である。
家の工事が全て終わっているからということだったが、
やはり予想通り、おかしな部分がいくつもあった。

まず、窓が壊れててカギがかからない。
これは早いうちにカーペンターに修理してもらうよう依頼済だが、
今はなんとか力ずくで窓が開かないようにしている。

そして、カーテンはそれを取り付けるための金具が用意されておらず、
これもまた力ずくで窓にカーテンを貼り付けている。

さらには、コンセントに電気が通る箇所と通らない箇所があり、
運が悪いことに寝室のコンセントの電気が通っていない。

ここはマラウイ。
日本での普通がこっちでは通用しない。

今日は赴任後初の休日。
Zomba TownのSV宅でZomba Town周辺の隊員が
Welcome Partyを開いてくれるようだ。
楽しみ。

2011年11月10日木曜日

明日からレクチャー開始。

MIEのDormi(現在の我が住まい)にようやく明かりが灯った。

電気は通っていたのだが、蛍光灯がきれていたので
交換してもらいたく、先週の日曜日にDormiのオーナーに
声を掛けてから3日後の今日、ようやく重い腰を動かしてくれた。
というか、早く交換しろと今日3度フォローに行ってようやく
動いたのが本当のところだが。。

マラウィアンに対してはしつこい位にフォローしないと何にも
動かないことが赴任して僅か5日でわかってしまった。
同じ人間でここまで違うものなのかと関心しているところだ。

明かりが灯るまでと言えば、真っ暗な部屋で見えない敵(蚊)に
襲われながらも必死になって起きている自分に嫌気がさし、
夜を諦めてとんでもない早寝をしていた。
一番早い時で8時には寝ていたと思う。
(会社の皆さんに申し訳なく思う。。)
目を覚まし、朝かと思って時計を確認したらまだ深夜12時
だったときにはどうしようかと思った。
十分寝たし、眠くないけど、起きても明かりはないし、
はてどうしようかと悩み始めたかと思って気付いたら朝だった。
どうやら全くの杞憂だったようだ。
寝ようと思ったらいくらでも寝られる体質は相変わらず健在だった。

今日部屋の明かりを灯してくれと3度もフォローに行ったのには
別に訳がある。いよいよ明日から授業をすることになったからだ。
今日ようやくカウンターパートに会え、挨拶だけ、と思っていたら、
明日から授業をやってくれと早速。
なので、授業準備をしなければならない。
Country tourの時から思っていたことだが、
このカウンターパートは容赦ない。

とりあえずしばらくはこのカウンターパートに揉まれながら、
目の前のことだけに集中してやっていこうと思う。

2011年11月9日水曜日

This is Malawi....?

Despite several calls back and forth,
it is unclear whether I am moving on this afternoon....

2011年11月8日火曜日

再びの引越

11/1の予定だった赴任の予定がだいぶ延びた。
ガソリン不足等の問題で結局私が首都Lilongweを
発ったのが11/5。しかし、こっちに来てみると住居の
準備がまだできていないということを赴任先に言われ、
急遽赴任先近くのMalawi Institute of Education(MIE)の
学生寮で今日11/8まで寝泊りすることになった。
連絡を取り合ってスケジュールを組むくらいできないのだろうか。。
そう思ってしまう。
今はMIEの学生寮でメールを打っているのだが、今日の午後
本来住むべき家に引っ越すことになる。
私としては一日も早く赴任して大学に慣れ、生活のペースを掴みたい
と思っているので、この件は少なくとも私にとってストレスとなった。

今後もこういったことは数知れないほど起こりそうな予感がする。
周囲とうまくやっていくにはある程度慣れることも必要だと思う。
但し、慣れていい部分と慣れてはいけない部分(改善して
いかなくてはいけない部分)との見極めは必要だ。

当分は自分を取り巻く環境を観察することに注力して
活動していきたい。

2011年11月3日木曜日

誰が、変えるのか

赴任延期になり時間がとれた。
この時間を、赴任先に行って自分が何をしたいのかを
まとめる時間にしようと思った。
そのためにはまず、前回BLOGの回答をうやむやのままに
しておくわけにはいかない。何か自分なりに納得のいく答えを
導くためのヒントがないか探してみようと思いDormitoryに
ある本をあれこれあさってみた。が、結果、自分の中で明確な
答えを導き出すまでには至らなかった。
そんなに簡単な問題なわけはない。当たり前だ。

しかし、Dormiで面白い本を見つけることができた。
ソーシャルイノベーションに関する本である。
個人的にイノベーションには興味がある。

本書では、世の中を「単純」なもの、「煩雑」なものとして見るのをやめ、
『複雑』なものとして見なければならないと言っている。
例えば「単純」はケーキを焼くことであり、レシピ通りに作れば
誰にだってだいたい同じものが作れる。
「煩雑」は込み入ってはいるが個々の要素に分解できることを意味しており、
ロケットを月に送ることに例えられている。
そして『複雑』は子どもを育てることに例えられている。
機械のようにコントロールできず、結果が予測できないと。
『複雑性』では双方の『関係』がカギとなっている。
しかし、『関係』は見えにくい。

また、複雑な問題は、ただの煩雑な問題であるかのように混同して扱われることがある。
学校では集団教育の効率を上げるようにできている側面があることは否めない。
生徒には多様な学習スタイルや能力があるとわかっていながらも、そういった部分に
目隠しをし、学習効率の悪い生徒をできない生徒としている部分がある。
教育システムに問題があるとは思わずに。

貧困、治安、教育、環境...世の中には実に多くの問題が山積している。
なんとかしたいと思う気持ちがある一方で、果たしてこの自分に何ができるのか…と思う。
相手は機械のようにコントロールできない。思い通りにはいかない。

しかしだ、

自分が変わることはできる。
そして自分を含む”人”はシステムの一部である。

何かを変えようとすることは、自分自身の変化を受け入れることという逆説。

自分自身がこれまで知らず知らずのうちに作り上げていた壁を、
勇気を持って壊していくことで、相手と相互に『関係』できる状態を作る。
自分も変化のプロセスの一部であることが必要であり、変化の当事者で
ある必要があるということだ。
これが、私が解釈したソーシャルイノベーション。

やるべきことがうっすら見えてきたように思う。
自分のマラウイでの立場、自分の得意分野を駆使して、
間接的にでも訴えられるメッセージはあるはずである。
結果は予測できない。

その問題は『複雑』であるから。

しかし

自分が知る結果だけが全てではない。
自分の行動は予期せぬところに波及するものだから。
だから、ただ大河の一滴に徹したい。

2011年11月2日水曜日

赴任日程延期。それと..

当初の赴任予定日は昨日であった。
元来赴任の際は赴任先が車を出して迎えに来てくれることになっていた。
赴任先で新しい生活をするために必要なもの(冷蔵庫、ベッドマット、防犯器具etc...)
がたくさんあり、それらを運ぶ必要性があるからだ。
しかし、問題発生により迎えに来れないらしい。ガソリンが手に入らないとのことである。

今マラウイは、政治上の問題で海外からの資金援助が(一時的に?)止められている。
国家予算の3割程が海外からの資金援助であるためそれはそれは大変な状況である。
さらには、マラウイ最大の産業であるタバコの世界的な需要縮減から外貨不足に
陥っており、それによってガソリンが海外から買えず、毎日ガソリンスタンドに車の
大行列ができている、まさに混乱状態。

マラウイには鉱山資源がほとんどないらしく(事実か否かは不明)、マラウィアンの多くは
農業で生計を立てており、一日1ドル以下の生活をしていると言われている。
ここ首都Lilongweでは大型スーパーのSHOPRIGHTやSUPAR、大型電家製品店の
GAMEなどがあり、日本人から見てもそれなりに値を張る商品が並んでいるのにである。
富裕層と貧困層の二極化は私が当初思っていたより酷く激しい。

私たちがマラウイに来る1ヶ月半前、ここマラウイでは大規模デモが起こった。
マラウイ中のあらゆる製品の一斉高騰に伴った騒動とのことであった。
これには普段わりと穏やかと言われているマラウィアンも黙ってはいられなかったようだ。
また、この騒動が着火剤となり、日頃フラストレーションを溜めていた人々が便乗して
騒動を起こしたとも聞いている。
19人であったか。。死人もでたらしい。

同じ人間が、たまたま日本に生れ落ちるかマラウイに生れ落ちるかで、
マラウイ国内でも、たまたま富裕層の生まれになるか貧困層の生まれになるかで、
全く違った人生が待ち受けている。

裸足で汚れたボロボロの服を着た女性が、小さな子どもを抱えながら
人通りの多い道の片隅に座って掌を天に向けている。
手にお金を置いてくれと呟きながら。私がそこを通るときにはいつもそうしている。
私はそれを見て見ぬふりをする。私は日本人で、多くはないけれど多少マラウィアンよりは
お金を持っている。しかし、ここでお金を渡すことは根本的な解決にはならないと自分に
言い聞かせ、少し歩くとそのことを忘れている。

ここマラウイで私に一体なにができるんだろう。