2011年12月23日金曜日

国家の品格

という本を読んでみた。その当時なかなか売れた本らしい。
この本は講演記録をもとにしたものらしく、確かに品格のことについて
書いているのに品格に欠ける文章が羅列してあり、講演として聞く分には
確かに面白いと思うが、本にするのはどんなもんかと思った。
それについては筆者自身にも自覚があるようで、本の中でもその件に
触れている。なんて変な人なんだと思った。

論理だけでは今日の社会的荒廃を食い止めることはできない。
日本が世界に誇る情緒と形の文明という国柄をこの手に取り戻さなければ
ならない、というのがこの本の概要である。

私としては、その論理をしっかり表現できるようになった上で大批判を
繰り広げてほしかったのだが、突っ込みどころが満載で読み物として
楽しんでしまいなんとなく読み終えてしまった。
ただ、そんな中でも少し考えさせられる面白い部分があったので
書き留めておきたい。

『ならぬことはならぬ。』

武士道の考え方の一つなのだとか。
要するにこれは「問答無用」だとか「いけないものはいけない」といったことであり、
価値観の押しつけであると言える。これは論理的に説明がつけられないから
しょうがなく生じてくる言葉のようでもあるが、人がなぜ人を殺めてはいけないのかを
例に挙げると多少理解が進む。例えばその人が大量殺人者だとしたら他の命を
守る上ではその殺人者を殺めることが時に正とか善とされる場合がある。
国によっては合法的でもある。しかし、ならぬことはならぬもの。。
ここからは筆者の面白いところ。「論理では証明できないことは押しつけよ。」
この世の中には論理で説明のつかないことが多く、重要なことの多くが
論理では説明がつかない、できないのだという。だから、押しつけよ。
子育ての時には説明など不要。頭ごなしに押し付けてもよい、と言っている。

最近東野圭吾のパラドックス13という本を読んだ。
ブラックホールのなんらかの変化の影響で巨大なエネルギーの波が
地球を襲い、その結果13秒間の時間跳躍が起こる。その範囲は宇宙全体。
それによって知性を伴うものの全てがその13秒間の間に知性を伴わないもの
になった場合、知性を伴わない、つまり存在しない(死んだ)ものは時間跳躍の対象に
ならないため数学的矛盾(パラドックス)が生じ、その矛盾を回避するために
その13秒間の間に死んだものが別世界に転送されると言った内容であった。
時間跳躍の前後で状況の食い違いがあってはならないというのが前提と
されているようであり、宇宙の原則でさえも知性の類をコントロールしきれないのかと
思ったのが印象的であった。もちろんこれはフィクションであるわけだが、
この本を読み終わったときに感じた宇宙大原則の不完全さへの可能性と、
ならぬものはならぬいくつかの事例が自分の中でダブりなんだかおかしな
気持ちになった。

もし機会があれば、読んでみても面白いかと思う。

Holiday

安全連絡協議会と隊員総会が終わってみんな首都から
それぞれの任地にまた戻っていった。
あっという間ではあったが、ゆっくり同期とも話すことができたし
有意義な時間だったと思う。

はてさて任地に戻ってきたばかりではあるが
今日が今年の仕事おさめであった。
Merry Christmas and Happy New Year Holidayは12/23-1/8まで。
実はこの長期休暇があることを昨日初めて知った。
以前授業計画を立てる際に一度年末年始の長期休暇の有無を
カウンターパートに確認していたのだが、
その時はそんなものはないと言われた(気がする)。
なにせ私の語学力が拙いのでなんとも言えないのだが、
海外初経験の私はこの国ではそういうものなのかと素直に受け入れて
年末年始も土日を除いてはみっちり授業計画を入れていた。
しかし、ここにきて2週間強の長期休暇。。
授業計画を組み直さなければならなくなった。元来授業計画に
あまり余裕はなかったのだが、2週間も休みにされるとまるっきり
余裕がなくなる。それどころか終わらせられるのだろうか。。
あー、授業がしたい。。

そして、明日からの2週間をいったいどう過ごしたらいいのだろうか。
入っている予定と言えば、明日の校長主催の忘年会パーティーと
来週月曜の同僚の結婚パーティーへの参加、のみ。

他は何にも入っていない。
予定を入れようにも、(公式行事を除き)マラウイ渡航後3ヶ月間は任地に
留まっていなければならないという規定もあるためまだ身動きがとれない。
 どうやら今年もシングルクリスマスになりそうだ。
30を目前にしてこれは流石にしんどい。
確か去年も仕事とデートしてたっけ。
せめてもの救いは、任地周辺にクリスマスを感じさせる装飾がないこと。
おそらくここでは、クリスマスを堪能するのは一部の富裕層のみなのであろう。
そのため、今年は気が付いた頃にはクリスマスが終わっていた、
ということになりそうだ。


今年は自分にとって冒険の年であった。
これまでの自分にはできなかったことに一歩足を踏み入れた記念すべき
大事な年であったと思う。自分らしくもない行動であったと思っている。
しかし、いざここに来てみると、それがまるで必然であったかのように
普通に生活をしている自分がいる。おかしなものだと思う。
だが、こうやってこういう経験ができているのも、自分を取り巻く環境の
理解があるからであり、実は私がここに来れたのも一筋縄のことではなく
裏で支えてくれている方々の努力があったからこそだということを今一度
心に留めておきたい。

人は頭の中でいろんなことを考え、思っている。
それを行動に移せるかどうかはその人自身の想いの強さに依存するが
周りがそれを許してくれなければ自分が折れるか、自分の環境を変える他ない。
私と言えば前者は可能性として十分にあったにせよ、後者は論外であった。
裏を返せばそれは想いがそれだけのものだったとも言い換えられるかもしれないが、
社会的・経済的な縛りの中で現実的に自分が自由に身動きの取れる範囲内か否かを
考えた結果導き出した自分なりの答えがそれであった。
しかし現に私は今ここにいる。
私が身動きできる範囲を周りの方々が広げてくれたからだ。

心から感謝だ。


【MENU 12/21】
・W-up
・Aerobics 40mins
・Standing discus throw 5
・Full-turn discus throw 5
・Chin-up 10*5

2011年12月13日火曜日

27→28

年末にはJICAの公式行事で隊員総会というのがある。それが今週行われる。

同じマラウイ隊員でも普段滅多に会うことのない隊員が総動員するという。
先輩隊員の活動報告会たるものがあるらしく、それを楽しみにしている。
今後の自分の活動の参考にもなると思う。
自分にとっても、他の隊員にとっても、実りあるものになればと思う。

今日で27歳は終わり。
日本時間ではもう28歳になってる。
高校生のころ、20代後半っていうのはだいぶ大人というイメージを持っていた。
世の中の大凡のシステムとその流れを把握しており、広い視野を持ちつつも
その中で自分の立ち位置がはっきり見えてくる時期なんだろうなと、
その当初感覚としてそんなことを思っていたと思う。

そして今。
現状は自分がよく知っている。

幸い、私には自分を磨く時間があるし、
必要な情報だって入手できない環境にいるわけではない。
日本に帰ったらすぐ30歳。
ここマラウイでどう過ごすべきかをよく考えて悔いのない2年間にしたい。


【MENU 12/12】
・W-up
・Aerobics 40mins
・Standing discus throw 3
・Full-turn discus throw 5
・Chin-up 10*5
・Legs raise 10*1

2011年12月12日月曜日

お隣さんジンバブエという国

もしも今日、インフレを抑えるための政策として、
『国中全ての物価を半分にすること』という政策が打ち出されたら
みなさんはどうするだろう。

おそらく、特売セールと喜び買い物に行ってあらゆるものを
買いあさるのではないだろうか。これは買う側の視点。

では売る側はどうするかと言えば、原価割れで売れば売った分だけ
赤字になるので商品を引っ込める。これが普通だと思う。
引っ込めた商品は闇に回り、高い価格で取引される。
おそらくはこの政策が出される前よりも高い価格で。

物は慢性的に不足した状態になり、医師等の貴重な人財も
生活が苦しくなるため海外に流出する。
国としては崩壊への一途を辿ることは明らか。
しかも、これは影響のほんの一部でしかない。

原価も考えずに物価を半分にしたらこういうことになることは
目に見えている。

しかしこれは、2007年(わずか5年前)にマラウイのお隣
ジンバブエという国で現実に起こったこと。

1960年代以降、アフリカ諸国は次々と植民地からの独立をはたしていった。
ジンバブエもそのうちの一つで、当初は白人大規模農場も黒人零細農家も
高い生産力を持っており、余剰農産物が近隣国に輸出されて外貨収入の
多くを稼ぎ出していたほど完璧に近い農業基盤があったそうだ。
しかし、独立以降、何を思ったか大統領が当初農業基盤の神髄を支えていた
白人大規模農場を武力で差し押さえをした。
ジンバブエの土地を返せ、と言った意味なのであろう。
その後完璧に近かった農業は管理ができない状態になり、腐敗し、
国内に飢えが広まったという。インフレ率は実に16万%超。
卵1個10円だったものが1万6000円になったということ。
とても信じられないが。。

政治家一人の後先考えない言動が国一つを不幸にした事例。
政治、経済に疎い自分がなんだか平和過ぎてて情けなくなった。

2011年12月10日土曜日

赴任先での1ヶ月間

赴任してから1ヶ月が過ぎた。
とにかく生活に慣れることに重きを置いた1ヶ月だった。
だいぶこの生活サイクルをまわすことにも慣れてきて、
円盤投げのトレーニングを本格的に再開したり、
食生活にも工夫の一品を追加したりと少しずつだが
生活も改善に向かっている。

生活が改善に向かう余裕が出てきたら、
自然と本来の活動にも力が入ってくる。

以前、生徒が多くの情報を浴びることの必要性について書いたが、
今私の手元に十分な紙があるのでそれを使って授業ごとにTextを
作り生徒に配布している。とてもTextなしでは伝えきれない情報量である。
Textの大事な部分、わかりづらい部分だけを説明し、それ以外は実際の
生徒の活動(運動)の時間に充てる。日本では当たり前に行われている
授業形態である。が、ここマラウイではそれを敢えて教える必要が
ありそうなのである。

また、私はこういった授業をしていることをその意図も含めてカウンターパートに
伝えるようにしている。私の授業が良いとか悪いとかではなく、
授業が意図的な営みであることを再認識してもらいたいのと、
カウンターパートの持つマラウィアンとしてのフィルターを通したとき
どのようなレスポンスが返ってくるか見たいからである。
今はこれと言ったレスポンスはないが、カウンターパートもまだまだ
私の様子をみている状態なので、今はこれでいいと思う。
ただ、この種のメッセージは引き続き送り続けるようにしたい。

私の授業に話を戻すが、生徒の多くは体育の授業を受け持った経験が
あるようではあるものの、そうとは思えないほど実技ができない。
自身が実技に苦手意識を感じている状態ではたして
教師は自分の授業に実技を積極的に取り入れようとするだろうか。
私はそうは思わない。しかし、体育は実技こそが大事である。
そこでの運動経験が自分にとって楽しいもの、気持ちのいいものであれば、
それは一生涯続く運動習慣に発展する可能性だってあるだろうし、
それはもちろん健康に直結するものになる。

また、身体の使い方、身のこなし方をわかっているだけで、
それは時に自分の命を救うものにもなる。
例えばそれは水泳であるだろうし、例えば後ろ向きに転倒した際に
頭を強打してしまったら大変なことになるが、後転一つ身につけていれば
それを防ぐことだってできる。
それ故に実技が大事だと考えている。

さらには、各種スポーツのルールについても机上での勉強のみでは
深い理解には至らない。それは日本人でも同じこと。
実際に用器具に触れたこともなければ見たこともなく、実際にやったことなんて
あるわけがないスポーツを実技なしで覚えるのは至難の業だと思うし、
覚えたとしても深い理解ではないのでその記憶は長くは続かない。
実技をやりながらルールを理解していく過程では、「では、こういったケースは
どうなるんだろう」と言った疑問が生徒から湧き、授業がより生徒自身の
主体的な取り組みに近づく。本来授業はこうあるべきである。

こういったことから、実技にはかなり力を入れている。
体操競技を教えるときにも、基本姿勢から前転後転や倒立、
ブリッジやアラベスクに至るまで身体を張って見本を示している。
実は私自身ブリッジが大の苦手でほとんどできないのだが、
この授業のときは根性でやった。ちゃんとやれているかは別として。
背面の筋肉が攣って生徒に心配されてしまったが...

しかし、生徒が私の授業を受けることで、本来あるべき授業の姿を
思い描いてくれたらそれは何より嬉しいことだと思う。
そう思ってもらえるような授業をいつも心掛けたい。

隣の家の子ども。
よくうちの木から石を投げてマンゴーをとっている。
こうやって物の投げ方を覚えていくんだろう。
そう、それが投擲だ!

【MENU 12/9】
・Sit up with balance ball (70, 30)
・Push up(50×2)

【MENU 12/10】
・W-up
・Badminton
・Cool-down

2011年12月9日金曜日

W-up

体育の実技の授業で生徒がウォーミングアップをまともにできないのが
前から気になっていた。問題は体操の種類を知らないこと。
それは身体の解剖学的な基礎知識が乏しいことや、
身体を様々に使うような運動経験が乏しいことの延長線上であるように思う。
そのため、とりあえずは体操の種類をできるだけたくさん教えたかった。
で、使ったのはラジオ体操。

英語版の音源も持っていたので自分が見本をして
やらせてみたところ、思った以上に効果があったようだ。
というのも、体操が終わった後拍手喝采。これから主運動が始まるって時に
正直何の拍手だかよくわからなかったが、
自分なりの解釈では『大好評』と受け取っている。
会社での約3年間と駒ヶ根研修時の2ヶ月間、
毎日やったラジオ体操がここで役に立ちよかった。
実技の授業の時にはしばらくこれを使おうかと思う。

ラジオ体操第一では約3分20秒、第二では約3分15秒、トータルでも6分35秒。
この間生徒はずっと身体を動かしていることになる。それなりの短い決まった時間で
ウォーミングアップがしっかりでき、授業時間内の生徒の運動時間の確保にもなる。
ただ、これは運動前に体操をする習慣を意識付けるのと新たな運動感覚としての
体操を経験することで自分の身体への気付きや身体の構造にも
興味を持ってもらいたいという意図があるもので、
ゆくゆくは自分たち独自で効果的な体操を考えられるレベルまでに引き上げたいと
思っている。今の現状から言うと、先は遠いだろうが。

今日授業終わりに生徒に月水金の週3日間朝の5時からダンス(エアロビクス?)を
やっているのだがこないかと誘われた。授業以外にももっと生徒と関わる機会を
増やしたいと思っていた矢先だったので嬉しい誘いではあったが、
朝5時から、しかも週3回ってのが。。
まぁでもどの道最近はトレーニングでの疲れと停電の影響もあり
夜早く寝て朝4時か5時に起きる生活サイクルに既になっていたので
参加してみようかなと思う。ダンスをウォーミングアップ代わりにして
そのまま円盤を投げに行くのもありだし。

今日も仕事が終わってから投げに行ったのだが、
子どもたちが集まってくるとこわくて投げられなくなる。
今日もウォーミングアップが終わった頃に子供たちがグラウンドに現れ始め、
結局立ち投げ3本にフルターン2本しか投げられなかった。
朝に投げればもしかしたら子どもたちを気にせずに好きなだけ
投げられるのではないかと目論見中。


【Today's MENU】
・W-up
・Dead Lift(60*10×3)
・Bench Press(60*10, 60*15, 60*10, 60*6)
・Bent Over Rowing-Shaft(60*8×3)
・Bent Over Two Hands Rowing-Dumbbell(20*10×3)
・Bench Stepping(20*10×4)
-Break(Class)-
・W-up
・Sprint 80*3
・Standing Discus Throw *3
・Full-Turn Discus Throw *2
・Chin-ups 10*5

2011年12月8日木曜日

もう一度円盤投げと向き合う決意

高校入学から僅か一週間後、当時の陸上部の監督に部活動日誌を
提出して戻ってきた日誌に監督のこんな言葉が綴られていた。

「お前は日本一になるかもしれない。可能性は大変高い。
しかし、あくまでも可能性。日本一になって初めて笑える。」

当初の自分の実績と言えば200m・砲丸投げ共に全県大会8位入賞程度。
そして当初は174cm、78kgと言ったところであろう。決して大きいとは言えない。
しかもその監督とは出会ってまだ間もない。僅か一週間前に出会ったばかり。
なぜそんなことがこの時点でわかるのか。
この自分がまさか…。

そう思ったのが本心であった。

今思うと、目標としては最適であったと思える。
届くかもしれないと感じた時もなくはなかった。
実際それを目指していたのは事実。
しかし、現実にはまだなれていない。

社会人になり、気持ちも身体も円盤からどんどん
遠ざかっていくことに抵抗し続けていたつもりだったが、
同時に、その抵抗力が徐々に落ちていくのも感じていた。
会社勤めをしてるんだから・・・と声を掛けられると、その度に
そんな気持ちで円盤を投げているわけではないんだと思っていた。
しかし、次第に円盤が飛ばなくなってくると、
自分の内側からその言葉が出てくるようになっていった。
正直もう終わりかもしれないと思った。

人生の幅を広げるために、自分の理想とする人間に近づくために
協力隊に参加する道を選択したのは事実。
しかしその裏に、未だ達成されていない日本一になるという目標に
もう一度チャレンジしたいという気持ちがあったのもまた事実。
もしかしたら協力隊参加を最終的に決定づけたのは円盤投げかも
しれない。これまでの人生において、私が岐路に立った時
最終的に行先を決めたのは円盤投げだった。
今回もまた円盤。そして、今の自分の人生が好きだ。
マラウイにきても円盤を手放せないわけだ。

私の赴任先のドマシ教員養成大学にはアメリカ人のボランティアも入っている。
彼の名前はパトリック。40歳くらいであろうか。年齢は実はよくわからない。
彼も体育でボランティアにきている。彼の専門は砲丸投げ。
身体は私くらいしかなく砲丸投げ選手としては決して大きくないのだが
Personal Recordは18mだそうだ。これはだいたい日本記録くらいの実力。
また彼はアメリカでオリンピック選手のコーチもしたことがあるらしい。
しかも円盤投げ選手の。。

こんな偶然があろうか。
しかも私が円盤投げの選手だと知るとコーチをしたいと言ってくれた。

私が円盤投げともう一度真剣に向き合う環境がみるみるうちに整ってくる。
投げる場所があり、シャフトといくつかの重りがあり、時間があり、コーチがいる。
あとは自分次第。円盤投げと本気で向き合うのは本当に大変だ。
自分の普段の生活の中に位置づけている円盤投げを
円盤投げ人生の中に生活がある状態にしなければならないからだ。
正直ここまで書いておいてはたして本当にできるのか、自信がない。
まるで、私のこの決定的な弱さを周知している誰かが、
今の私に円盤投げと本気で向き合うだけの勇気が本当にあるのか否か
試しているようだ。

自分の決定的な弱さがその精神性にあることは既知の事実。
自分だからこそ、自分を何度も裏切ってきた自分をよーく知っている。
でも、真剣でなくて何が人生だ。やってやる。
もしできなかったときはみんな笑ってくれ!
そのかわり日本一になったら思いっきり笑ってやる。

2011年12月7日水曜日

家の裏には庭としばらく手が付けられていない畑がある。
畑は雑草で茂っている。その広さはおおよそ100㎡。

昨日家にの鍬(くわ)を持った一人の少年が来た。
どうしたのかと聞くとチェワ語でなにやら話してくる。
チェワ後しか話せないらしい。
表情とジェスチャーを見る限りでは、私の家の使われていない畑を耕して
野菜を栽培したいというようなことを言っているようだった。
イマイチよく理解できていなさそうな私の顔を見て諦めたのか、
どっかに行ってしまった。と、思ったらすぐに帰ってきた。
英語のできる知り合いを通訳として連れて。。

よくよく話を聞くと、お金がなくて困っていると言う。
そのため、私の家の畑を耕して野菜を植えるところまでやるから
その報酬として1,000クワチャ(日本円にして500円)ほしいということだった。
彼には奥さんも子どももいるとのこと。彼の顔は必死に見えた。
少年だと思っていたが実は25歳の青年であった。

彼の野菜栽培の知識や経験がどれほどのものかわからなかったので
少し悩みはしたが、最近もっといろんな物を食べて
しっかり栄養をとらなければと思っていたところだったので
結局お願いすることにした。円盤をもっと遠くに投げたいので。
実際うまく野菜が育つかは怪しい。
しかし、もしうまくいかなくても人助けだと思ったら安い。

彼は畑を途中まで耕したかと思ったら誰かまた別の人を連れてきて何やら
立ち話しを始めた。何かと思って寄ってみると、彼の連れてきた人が
農業の専門家だということがわかった。
やはり実際彼自身にはそんなにたいした知識があったわけではなかったようだ。

その後なんだかんだゴタゴタはあったが、結果的には見栄えのいい畑が
出来上がった。そこに植えたのはじゃが芋、カボチャ、オクラ、ピーマン、ニンジンの
5種類。のはず。定かではない。というのも、彼にはもしマーケットに行って
私の指定した野菜の種が無かったら別のどんな野菜でもいいから買ってきて
植えてくれという頼み方をしたからである。全ての作業を終えて彼に報酬を
支払う時、結局何を植えたのか聞いてみたがよくわからなかった。
チェワ語だったので。というわけで、できてからのお楽しみ。

そして、今日その畑を見たウォッチマンが、自分もメイズ(とうもろこし)を植えたいと
言ってきた。夜だけのウォッチマン。彼の勤務時間は夜6時から朝の6時。
ほとんどが真っ暗な状態でいつ畑を耕すのか。。大変興味深い。

畑の土地はまだ半分以上余っている。はてさてどんな畑に化けるのか、
今後の展開が楽しみだ。

今日は先日家に初めて泊まりにきた友人の影響を受けて
これまで避けていた卵と牛乳を買ってみた。
避けていた理由はなんだか危なさそうだから。
しかし、よくよく考えるとどちらも栄養価が高く、円盤を遠くに投げたい
私にとっては2年間口にしないわけにはいかない食材。
こうして食事は次第に充実してきている。

今は、畑の野菜たちの収穫が楽しみでならない。

家の畑。右手に見える木は私の天敵マンゴーの木。


日本のこくまろカレーを食す。
任期終了で帰国した先輩隊員が送ってくれた逸品。
(友人撮影)
【左】マシュマロ風味野菜スープ。
【右】豆を煮てみた。良質な植物性タンパク質。

2011年12月2日金曜日

どんな色の授業にするか

授業をやっていて思う。
生徒一人ひとりに教科書がほしいと。しかもちゃんとした教科書が。
ここの大学ではここの大学が発行している教科書を使って
だいたいの授業が進められている。教科書がないものに関しては
自分の手持ちの資料かインターネットか図書館で情報を仕入れて
授業準備をするようにとカウンターパートに言われている。
実際カウンターパートも他の教師もそうしているようだ。

しかし、それぞれの手持ちの資料なんかほとんどない上に
インターネットから情報を仕入れるためにはいい情報と悪い情報
(間違った情報or古い情報)を取捨選択しなければならないので
慎重にならざるを得ず、慣れていないと時間がかかる。
その上この接続の遅さ、悪さ。動画はまずDLできない。
また図書館には良書と呼べるものはほとんどない。
あるだけまだいいのかもしれないが、自分が借りてしまったら生徒が
勉強できなくなるなと思ってしまうと正直踏み留まってしまう。

また、既存の教科書があるものに関しても未だに
陸上競技のフライングが2度で失格であったり(今は一度で即失格)、
バドミントンが15points制と記載されていたり(今は21points制)、
卓球が21points制と記載されていたり(今は11points制)と、
とにかく情報が更新されていない。教員養成校がこのレベルである。

とは言っておきながらも実は、今のマラウィアンには
こういった細かな情報の更新よりももっともっと優先されるべきものが
あると最近感じており、以前私はこれを大きな問題として捉えていたが、
今はそれほどでもない。

もっと優先されるべきことは、できるだけ質の高い情報をよく浴びることであり、
それによって人は物事をより深く考えるようになるだろうし、人間やそれを取り囲む
環境の本来あるべき姿が次第に鮮明に見えてくるのではないかと思う。
そしたら、産業を外国人に牛耳られているマラウィアンもこのままではダメで、
自分たちがこの国を創造し、守っていかなくてはならないのだという忘れかけていた
(かどうかはわからないが..)自尊心を取り戻せるのではないかと思う。
そしたら町の路上のゴミも減るのかな、とも。。

またそのことは、人間間の文化や価値観の違いを知覚し、それを受容する
受け皿をつくることにも次第に繋がっていくと思っている。
そしたら、マラウィアンが”チャンチュン”と言って中国人を馬鹿にすることも
少なくなるのではないかと思う。中国だってどういう形かはよくわからないが、
マラウイのためにボランティアを送っている。そのやり方が利己的に過ぎるのか
どうかは定かではないが、そういった背景を知らずとも
それがある種の慣習であるかのように中国人を馬鹿にしている現状がある。
これは大変大きな問題であると思っている。

今の大学教師の授業の多くは、配布資料一切ナシで行われている。
教科書もないのだから情報を浴びる状態からはほど遠い。
生徒に与える情報は教師の口から出た言葉と黒板に書いた文字のみ。
重要事項はひと単語ずつ読み上げ、それを生徒がノートに写す。
「先生待って待って!」というような声があちらこちらから聞こえてきて
その度に時間がもったいないと思っている。
とは言え、こちらでは紙が大変貴重であるようだ。
しかし、滅多に手に入らないものかと言えばそうでもないように思う。
紙として授業資料が先に出来上がっていれば、今の何倍の情報を生徒に伝えられる
だろうかといつも思っている。
今は、限られた時間の中でできる限り多くの情報を生徒に伝えることの重要性と
紙の値段を天秤にかけたら紙の値段の方が重かった、と言った状態である。
明らかにおかしいと思っている自分がおかしいのだろうか。
マラウイにおける紙の価値をまだよくわかっていないからこんなことが言えるのだろうか。
それとも、単に教師側がそれだけの情報量を用意できない状態なのであろうか。
この問題の真因は別に突き止めるとしても、私は今自分が用意できる情報を限られた
時間の中でできるだけ多く伝えられるような授業作りをしていきたいと思っている。


さらに、情報に関して。
マラウィアンは情報の伝達がどうも下手な気がする。
この大学には学長を始め、日本への留学経験がある教師が数名いる。
中には日本で修士号を取得した教師もいて、彼はいつも親しく声を掛けてくれる。
その彼の授業を見させてもらったところ、他の教師と比較し、
確かに授業の展開の仕方が考えられていると思うし、生徒の食いつきも良く感じる。
その教師の人柄もあるのかもしれないが。
しかし、そういった経験値のある教師の知識や知恵を共有する場が
どうやらなさそうなのである。なんとまぁもったいない話かと思う。
しかし、そういう場がないのは、もしかしたらそれを必要としている人間が
いないからなのかもしれない。それが、単に向上心がないからなのか、
時間的余裕がないからなのか、精神的余裕がないからなのかはわからないが。
もしくは開示する側にこういった症状があるのかもしれない。
なにはともあれ、今ある環境を最大限フル活用させる手助けさえできれば、
それだけで大学がガラリと変わるような気がする。
それが難しいのだろうけれど。

とりあえず今はまだ情報収集。まだまだ始まったばかりなので、
しばらくは落ち着いとこうと思う。慎重になるのは得意な方だし。

2011年12月1日木曜日

座右の銘

今日仕事が終わって円盤を投げていた時に久しぶりにふと思い出した。



座右の銘

『今ここで頑張らずにいつ頑張る』

高校の時教頭先生からもらって以来ずっと自分のための言葉。
京都大仙院の和尚さんである尾関宗園という方の言葉だとか。
実にわかりやすくて、それでいて今にも折れそうな心をガッチリ支えてくれる重みを感じる。
これまで、辛い時、苦しい時、挫けそうな時に何度この言葉に助けられたことか。
私にとってそういう時の多くはもちろん円盤投げのトレーニング中であったわけだが、
この言葉があったからこそ最後まで気力を振り絞って追い込みきることもできた。
その積み重ねが今の自分を作っている。この言葉の力はすごい。
きっと、今日この言葉をふと思い出したのも、円盤投げとこの言葉が
私にとっては切っても切れないようなものになっているからなのだと思う。

私は円盤投げを介して本当に多くのことを学んできたと思う。
それは何よりも全力であったからなのだと思う。
とにかく遠くに投げたかった。
とにかく勝ちたかった。
とにかく目立ちたかった。
かなり濃密な時間を過ごしてきたと思う。

しかし、今没頭していることはと言えば...正直これと言ってない。。
マラウイでの活動もまだ始まったばかりで、新しい生活に慣れることで
手一杯になっている状態であり、没頭とまでは到底いかない。

そんな中でも最近思う。
自分の人生は今少し違うステージに移行している時期なのだと。
今ここで何を考え、何に没頭し、何を創造するかによって、
この先の人生が大きく変わるような気がする。
もちろん活動に関わることがベースである。
今の私にはその時間的余裕があるし、行動幅の自由度もある。
ここにくる前、社会人を3年間やってた。その時にはなかったものだ。
時間は本当に大切なもの。

この2年間を充実させるために早いところ何かに没頭し、
濃密な時間を過ごしたいと思う。

2011年11月28日月曜日

教育への情熱

金曜日の帰り際、カウンターパートが話を切り出してきた。
その内容は、明日の朝から毎週土曜日の早朝に
有志の学生を集めて何かしらの運動をしたいので
もし来れそうなら来てほしいとのこと。

この大学はsecondary schoolの現職教師の再訓練をする教育機関であり、
そうでない生徒もいるが生徒の多くは教師である。
カウンターパートは、教師が運動習慣を持つことは子どもたち(生徒)の見本になるため
大変重要だと言っている。その運動習慣を身につけるための第一STEPとして
こういった取組みをどうしても始めたいとのことであった。
これまでにはない熱を感じた。

私には正直、これまでカウンターパートがどれだけ教育に情熱を持っているのか
解り兼ねる部分があった。彼は若い時に各々約1年ずつアメリカとドイツに留学してた
経験を持ち、そこで体育を学んできている。そして現在の年齢は55歳位であろうか。
経歴から言ったら、まさに体育指導方法論を熟知している大ベテランと言ったところであろう。
しかし..カウンターパートの今の授業のやり方に違和感を覚えざるを得ない。
私にとって、その違和感がどうしても教育への熱を感じさせるに至らしめなかった。

しかし今回のこの件は、少なくとも私にとってカウンターパートの教育に対する熱を
実にわかりやすく感じさせてくれた件であり、私としては本当に嬉しかった。

もちろん参加することにした。
朝の5:15、大学の体育館に集合。
お題はそのときどきで変えて行くらしく、今回は道具が充実している
バドミントンをやりたいとのことであった。
朝早いのは大変苦手であるが、嬉しさが勝っていた分、
珍しく苦も無く起きることができた。

体育館に行ったら既に学生が体育館脇の広場でW-upを始めていた。
大学から家が遠い生徒はいくら意欲があっても来ることができないのでしょうがないが、
中にはこういった志の高いというか、スポーツが根っから好きなマラウィアンが
いるんだということを確認することができ、それだけで収穫であった

マラウイでは体育単独の教科が無い。
Expressive artsという教科に包括されている。
情操教育の一環としての位置付けであり、起ち上げからの日も浅い。
体育の意義はまだまだこの国に浸透しているとは言えない。
おそらくはMinistryでさえ浮き足だった状態なのではないだろうか。
そんな中では末端に行けば行くほど方向性を見失い混乱を生じさせる。
学校教育の中に体育を取り入れることの意義。
おそらくは先進国に倣った新たな取り組みの一つであり、
その意義は先進国で現行されているものと同じだと思うが、
今この国に求められている力の一つが、
まさに情操教育によって培われるものだと強く思っている。

何もないところから何かを生み出す力、創造力。
既存のものを真似るだけではなく、自分たち用に変える力、工夫する力。
自分へ課した約束を守り続けることで培われる力、自信。 など。

マラウイに限らず多くの発展途上国では同様の様子が伺えるのかもしれないが、
産業は先進国に牛耳られ、道を走る車には
〇〇老人ホーム等の日本語が書かれており、
道端にはビニール袋等の土に還らないゴミが散乱している。

こんな状態を見て私は、本当のマラウイはどこにあるんだろうかと思ってしまう。
これが本当のマラウイであるのならば、私は悲しい。
そしてこれが今マラウィアンが望んでいるものなのだろうか。
マラウィアンにとっての本当の幸せの形に向かって進んでいるのだろうか。

自分が今のマラウィアンに対してどんな体育の授業をするべきなのか、
せめて自分の中だけでもはっきりとした方針を持って授業をしていきたい。。

2011年11月23日水曜日

今日の出会い

今日は2人との出会いがあった。

一人はウォッチマン。
協力隊は治安の面から原則として必ず住居に警備員を
配置しなければならない。私が現在住んでいる家は
大学の敷地内にあるため、そんなに治安の悪い場所のようには
思わないのだが、カウンターパートに相談したところ、
つけることをお勧めするとのこと。最近は大学内でも盗難が頻繁に
あるようで、カウンターパートもわりと神経質になっているようだ。
蛇足ではあるが、このカウンターパートは私の前任のボランティアも
担当していたためか日本人っぽいところがある、ように思う。
そんなこんなで、カウンターパートにウォッチマンを紹介してもらった。

カウンターパートは午後に紹介するからと言っていた。
その午後、カウンターパートとOfficeにいると、ノックをして入ってくる
おじいさん2人。学生ではないだろうし、いったい誰だろうなと思っていたら
その片方がウォッチマンだった。どうやらカウンターパートの知り合いが
その友人である彼をウォッチマンとして連れてきたらしい。
カウンターパートからは、昔Prison(刑務所)で働いてて今はリタイヤ(退職)
しているけれど体が大きくていい人だというような説明を受けていたため
大いなる期待をしていたのだが、決して体が大きいわけでもない
ヒョロヒョロのおじいさんだったので正直ガックリであった。
しかし、話をしてみたところしっかりやってくれそうな
印象を受けたのでそのままウォッチマンをお願いすることにした。

彼の名はギルバート。推定60歳。
今私の家の外で初仕事をしている。
しかし…犬に噛み付かれたりしていないだろうか。
心配だ。。携帯の番号を教えてと言ったらお金が無いので持ってないと言ってた。
ここマラウイではかなり携帯電話が普及しており、お金に困っている人でも
大概は携帯電話を所持している。マラウイで持ってない人を見たのは初めてだった。
そのこともあってか、家でご飯はちゃんと食べてきたんだろうか、
家族はいるのだろうかと心配が心配を呼んでどうもこうもし難い状況になっている。
考えたらきりがない。しかし、ここで出会ったのも何かの縁。
よくコミュニケーションをとりながら、必要だと思ったことを少しずつやっていけたらと
思っている。長い付き合いになります。どうぞよろしくお願いします。


もう一人は学生。と言ってもうちの学生ではない。
仕事が終わって家に帰って料理を作っていたら、誰かが玄関をノックした。
玄関のカーテンを開けたてみたらそこに彼女が立っていた。
彼女は何か深刻そうな面持ちで話したいことがあると言った。
どうやら家に帰りたくても帰れずに困っているらしい。
道に迷ったのかと聞いたら、それもだけど、お金もなくて家まで帰れないとのこと。
ナイフで木彫りをしてペンをつくったり皿を作ったりしてそれを売って生計を立てて
いるのだが、そのグッツが売れなくて家まで帰ることができないらしい。
彼女はそう言って背負っていたバッグを開け、そのグッツを見せてくれた。
確かにどれも手作りだけど良くできている。
しかしまぁよく売れ残ったものだ。バッグがパンパンでもうこれ以上入らないと
いうくらい入っている。現にファスナーは壊れていた。
いくらかと聞いたら一つ500クワチャ(日本円にして250円)。
500クワチャあれば家に帰れるのかと聞くとそうだと言った。
陽ももうそろそろ落ち始めており、暗くなると危ないので
とりあえずバスデポ(バス停)まで送ることにした。
途中さらによく話を聞くと、実は親がいないらしく、自分が他2人の兄弟の分の
面倒も見ているとのこと。何とも言えなかった。
とりあえずお腹が空いていたようだったのでバスデポ付近のマーケットで
ポテトフライを買ってあげ、そこで彼女の手作りペンも購入した。
これで家に帰れる。彼女はありがとうと言ってほっとした面持ちで帰っていった。

要請活動外ではあるけれども、自分がマラウイに来た意義があったのでは
ないかと、そう思わずにはいられない出会いであるとともに、いろんなことを
深く考えさせられる、私にとってはインパクトのある出会いであった。

手作りペン

2011年11月21日月曜日

マンゴー

前回、マンゴーアレルギーへの懸念について呟いたが、
まさか本当に自分がマンゴーアレルギーになるとは
思ってもみなかった。

土曜、朝起きたら顔が腫れあがってってて目が半分しか開かない。
なんだか顔が痒い。首にも同じような症状が。。
JICAの健康管理員に連絡。。マンゴーアレルギーの症状のようだとのこと。
病院に行くようにとの指示が出た。
自分も調べてみたところ、確かにマンゴーアレルギーの症状である。

マンゴーそのものは実はウルシ科の植物であり、かぶれを起こす果物として
有名とのこと。マンゴーの主要アレルゲンはカルドールと呼ばれるものらしく、
主にマンゴーの果皮の部分に含まれるが、果肉にも少量存在するため、
少し食べてみて口の周りの様子がおかしくなったり、
食べる前に皮膚に少し当ててみておかしくなったりしたら食べない方がいいようだ。
あと、情報源が定かではないので本当か否かは不明ではあるが、
空腹時に食べるのは極力避けるべきだということと、1日4個までを限度とすること
など、マンゴーを食べる上で注意すべき点がいくつか存在するようだ。

昨日家から2時間ほど離れたBlantyreというマラウイで最も栄えている都市の
病院に行き早速診てもらったところ、マンゴーアレルギーではないか、とのこと。
飲み薬と塗薬をもらって帰宅。
なかなか直ぐには薬が効いてくれないようではあるが、
それでも症状は僅かながらに改善の一途を辿っているように思う。

今朝、一応出勤してみたものの、カウンターパートに家で休んでなさいと言われ、
あえなく帰宅し療養中。カウンターパートはマンゴーアレルギーなんて
聞いたことがない、と言っていた。

ここMalawiにはあちらこちらにマンゴーの木があり、今がちょうど旬な
食べ物のようである。そのため、どこに行ってもマンゴーを
安く(日本円にして5円程で)手に入れることができる。
それにしても、マラウィアンにはマンゴーアレルギーなんてないのだろうか。。

いづれにしろ、Malawiでの食生活の楽しみの半分をも失った気分である。
そして、アレルギーなどとは無縁と信頼をおいていた自分の体に
裏切られた気分でなんともやりきれない思いが募っている。

月曜日はもともとしばらくは私の受け持つ授業がないことになっていたため、
授業が遅れることはないので、その面では少し安心している。
が、明日の朝からもちろん授業があるわけで、準備は今日のうちにしておく必要がある。
痒みを我慢して準備を進めようと思う。

2011年11月17日木曜日

新しい趣味

最近、生活が充実している実感がある。
というのも、生活の中に楽しみを見つけたからだ。
それは、料理。

仕事が終わる頃、ワクワクしながら頭を巡らせているのは
「今日は何を作ろうか。。」ということ。
何を作ろうかと言っても、近くのマーケットで売られている
食材の種類には限りがあり、作れるものなんてたかが知れてるのだが、
それでも頭を巡ってしまう。

以前の自分からはまるで想像できない。
これまでは料理に関してはそれくらい面倒なものとして捉えていたためだ。
学生時代もほとんどが外食。
洗い物も好きではなかった。

なぜここにきて急にこうなったのかは自分でもわからない。
使い勝手のいいキッチンのせいか、先週の日曜日に買ったお気に入りの
山羊肉のせいなのか、思い当たる節と言ったらこんなもんだ。
しかし、イマイチぴんとこない。真因は別にありそうだ。
いずれにせよ、毎日楽しみながら料理をして、しっかり食べている。

いくらマラウイでも外食はやはりお金がかかる。
その上メニューと言えばほとんどがチキンorビーフwithライスorシマ。
不味くはないが、これじゃあ栄養も十分にとれない。
満足感も得られない。
2年間こっちでそれなりの成果をだすためには、
大前提として心身が健康でなければいけない。

そんなこんなで料理はしっかりしようと思っていたわけではあるが、
これまで『苦』と思っていたものが、いきなり『楽しみ』に変わったのは、
自分でも予想外のことであり、ラッキーであった。

協力隊でマラウイにきたら、男は痩せ、女は肥えると言われている。
私はというと、今現時点で既に▲5kgでありマラウイの洗礼を受けているものの、
料理が好きなせいでこれ以上痩せる気はしない。

今日で料理が楽しいと初めて実感してから3日が経つ。
これが3日坊主で終わらなければいいのだが。。


今日の夕食。これにライスとデザートのマンゴー。
マンゴーは最近ほぼ毎食食べてる。
しかし、マンゴーアレルギーになるんじゃないかと懸念もアリ。。

2011年11月15日火曜日

円盤好き

今日、仕事が終わってOfficeから出たところに
子どもたちがぞろぞろと。
私を見るなり寄ってきて、『円盤投げたい!』って。
土曜日円盤初体験した子どもたちだ。

何で私がここにいることを知ってるんだろう。。
どこから情報を仕入れたのか??
それだけ円盤が投げたかったということなんだろうか。
…スゴイな、子どもたち。

たまらん。

ということで、早速グラウンドへ。
円盤って、やっぱりいい。


'Keep safety line!'を守る子どもたち

カメラが大好きな子どもたち

2011年11月14日月曜日

My house

Bedroom

Kitchen

今日の夕食

今日はマーケットで買ってきた山羊の肉を調理。
山羊を食べるのはもしかしたら初めてかもしれない。
山羊の肉は乳牛に似た甘いミルクのような匂いがして
自分好みの肉。ただ、めちゃめちゃ固い。。

ついでに入れたキャベツまでなぜか歯ごたえがよくて、
なかなか噛みきれず大変な夕食だった。が、
おいしかった~

山羊肉定食

Malawiに自分の銅像を建てるための第一歩

マラウイ記録保持者の育成。
これをすることでMalawiに自分の銅像が建つとは到底思えないが、
マラウィアンをコーチングしてマラウイ記録保持者にしたいと
いうのが目論見の概要。
種目はもちろん陸上競技。とりあえずは自分の専門種目である円盤投げ。

昨日、午前中Secondary schoolのグラウンドで円盤を投げていた。


Secondary schoolのグラウンド

そこに子どもが5人寄ってきて円盤を投げる私のマネをし始めた。
どうやら子どもたちは円盤に興味深々。
投げるかい?と声を掛けたら喜んで近づいてきた。かわいい。

円盤の握り方だけ教えて、あとはこうやって投げるんだと
お手本を見せて投げさせた。
そしたら↓↓



握り方しか教えてないのにパワーポジションがしっかりとれてる。
リリース後しっかり円盤を見ている。
…だいぶスジがいい。

Malawiの未来はきっと明るい。

2011年11月12日土曜日

本引越

一昨日、MIEのDormiから当初予定してた家への引越をした。
待ちに待った、である。
家の工事が全て終わっているからということだったが、
やはり予想通り、おかしな部分がいくつもあった。

まず、窓が壊れててカギがかからない。
これは早いうちにカーペンターに修理してもらうよう依頼済だが、
今はなんとか力ずくで窓が開かないようにしている。

そして、カーテンはそれを取り付けるための金具が用意されておらず、
これもまた力ずくで窓にカーテンを貼り付けている。

さらには、コンセントに電気が通る箇所と通らない箇所があり、
運が悪いことに寝室のコンセントの電気が通っていない。

ここはマラウイ。
日本での普通がこっちでは通用しない。

今日は赴任後初の休日。
Zomba TownのSV宅でZomba Town周辺の隊員が
Welcome Partyを開いてくれるようだ。
楽しみ。

2011年11月10日木曜日

明日からレクチャー開始。

MIEのDormi(現在の我が住まい)にようやく明かりが灯った。

電気は通っていたのだが、蛍光灯がきれていたので
交換してもらいたく、先週の日曜日にDormiのオーナーに
声を掛けてから3日後の今日、ようやく重い腰を動かしてくれた。
というか、早く交換しろと今日3度フォローに行ってようやく
動いたのが本当のところだが。。

マラウィアンに対してはしつこい位にフォローしないと何にも
動かないことが赴任して僅か5日でわかってしまった。
同じ人間でここまで違うものなのかと関心しているところだ。

明かりが灯るまでと言えば、真っ暗な部屋で見えない敵(蚊)に
襲われながらも必死になって起きている自分に嫌気がさし、
夜を諦めてとんでもない早寝をしていた。
一番早い時で8時には寝ていたと思う。
(会社の皆さんに申し訳なく思う。。)
目を覚まし、朝かと思って時計を確認したらまだ深夜12時
だったときにはどうしようかと思った。
十分寝たし、眠くないけど、起きても明かりはないし、
はてどうしようかと悩み始めたかと思って気付いたら朝だった。
どうやら全くの杞憂だったようだ。
寝ようと思ったらいくらでも寝られる体質は相変わらず健在だった。

今日部屋の明かりを灯してくれと3度もフォローに行ったのには
別に訳がある。いよいよ明日から授業をすることになったからだ。
今日ようやくカウンターパートに会え、挨拶だけ、と思っていたら、
明日から授業をやってくれと早速。
なので、授業準備をしなければならない。
Country tourの時から思っていたことだが、
このカウンターパートは容赦ない。

とりあえずしばらくはこのカウンターパートに揉まれながら、
目の前のことだけに集中してやっていこうと思う。

2011年11月9日水曜日

This is Malawi....?

Despite several calls back and forth,
it is unclear whether I am moving on this afternoon....

2011年11月8日火曜日

再びの引越

11/1の予定だった赴任の予定がだいぶ延びた。
ガソリン不足等の問題で結局私が首都Lilongweを
発ったのが11/5。しかし、こっちに来てみると住居の
準備がまだできていないということを赴任先に言われ、
急遽赴任先近くのMalawi Institute of Education(MIE)の
学生寮で今日11/8まで寝泊りすることになった。
連絡を取り合ってスケジュールを組むくらいできないのだろうか。。
そう思ってしまう。
今はMIEの学生寮でメールを打っているのだが、今日の午後
本来住むべき家に引っ越すことになる。
私としては一日も早く赴任して大学に慣れ、生活のペースを掴みたい
と思っているので、この件は少なくとも私にとってストレスとなった。

今後もこういったことは数知れないほど起こりそうな予感がする。
周囲とうまくやっていくにはある程度慣れることも必要だと思う。
但し、慣れていい部分と慣れてはいけない部分(改善して
いかなくてはいけない部分)との見極めは必要だ。

当分は自分を取り巻く環境を観察することに注力して
活動していきたい。

2011年11月3日木曜日

誰が、変えるのか

赴任延期になり時間がとれた。
この時間を、赴任先に行って自分が何をしたいのかを
まとめる時間にしようと思った。
そのためにはまず、前回BLOGの回答をうやむやのままに
しておくわけにはいかない。何か自分なりに納得のいく答えを
導くためのヒントがないか探してみようと思いDormitoryに
ある本をあれこれあさってみた。が、結果、自分の中で明確な
答えを導き出すまでには至らなかった。
そんなに簡単な問題なわけはない。当たり前だ。

しかし、Dormiで面白い本を見つけることができた。
ソーシャルイノベーションに関する本である。
個人的にイノベーションには興味がある。

本書では、世の中を「単純」なもの、「煩雑」なものとして見るのをやめ、
『複雑』なものとして見なければならないと言っている。
例えば「単純」はケーキを焼くことであり、レシピ通りに作れば
誰にだってだいたい同じものが作れる。
「煩雑」は込み入ってはいるが個々の要素に分解できることを意味しており、
ロケットを月に送ることに例えられている。
そして『複雑』は子どもを育てることに例えられている。
機械のようにコントロールできず、結果が予測できないと。
『複雑性』では双方の『関係』がカギとなっている。
しかし、『関係』は見えにくい。

また、複雑な問題は、ただの煩雑な問題であるかのように混同して扱われることがある。
学校では集団教育の効率を上げるようにできている側面があることは否めない。
生徒には多様な学習スタイルや能力があるとわかっていながらも、そういった部分に
目隠しをし、学習効率の悪い生徒をできない生徒としている部分がある。
教育システムに問題があるとは思わずに。

貧困、治安、教育、環境...世の中には実に多くの問題が山積している。
なんとかしたいと思う気持ちがある一方で、果たしてこの自分に何ができるのか…と思う。
相手は機械のようにコントロールできない。思い通りにはいかない。

しかしだ、

自分が変わることはできる。
そして自分を含む”人”はシステムの一部である。

何かを変えようとすることは、自分自身の変化を受け入れることという逆説。

自分自身がこれまで知らず知らずのうちに作り上げていた壁を、
勇気を持って壊していくことで、相手と相互に『関係』できる状態を作る。
自分も変化のプロセスの一部であることが必要であり、変化の当事者で
ある必要があるということだ。
これが、私が解釈したソーシャルイノベーション。

やるべきことがうっすら見えてきたように思う。
自分のマラウイでの立場、自分の得意分野を駆使して、
間接的にでも訴えられるメッセージはあるはずである。
結果は予測できない。

その問題は『複雑』であるから。

しかし

自分が知る結果だけが全てではない。
自分の行動は予期せぬところに波及するものだから。
だから、ただ大河の一滴に徹したい。

2011年11月2日水曜日

赴任日程延期。それと..

当初の赴任予定日は昨日であった。
元来赴任の際は赴任先が車を出して迎えに来てくれることになっていた。
赴任先で新しい生活をするために必要なもの(冷蔵庫、ベッドマット、防犯器具etc...)
がたくさんあり、それらを運ぶ必要性があるからだ。
しかし、問題発生により迎えに来れないらしい。ガソリンが手に入らないとのことである。

今マラウイは、政治上の問題で海外からの資金援助が(一時的に?)止められている。
国家予算の3割程が海外からの資金援助であるためそれはそれは大変な状況である。
さらには、マラウイ最大の産業であるタバコの世界的な需要縮減から外貨不足に
陥っており、それによってガソリンが海外から買えず、毎日ガソリンスタンドに車の
大行列ができている、まさに混乱状態。

マラウイには鉱山資源がほとんどないらしく(事実か否かは不明)、マラウィアンの多くは
農業で生計を立てており、一日1ドル以下の生活をしていると言われている。
ここ首都Lilongweでは大型スーパーのSHOPRIGHTやSUPAR、大型電家製品店の
GAMEなどがあり、日本人から見てもそれなりに値を張る商品が並んでいるのにである。
富裕層と貧困層の二極化は私が当初思っていたより酷く激しい。

私たちがマラウイに来る1ヶ月半前、ここマラウイでは大規模デモが起こった。
マラウイ中のあらゆる製品の一斉高騰に伴った騒動とのことであった。
これには普段わりと穏やかと言われているマラウィアンも黙ってはいられなかったようだ。
また、この騒動が着火剤となり、日頃フラストレーションを溜めていた人々が便乗して
騒動を起こしたとも聞いている。
19人であったか。。死人もでたらしい。

同じ人間が、たまたま日本に生れ落ちるかマラウイに生れ落ちるかで、
マラウイ国内でも、たまたま富裕層の生まれになるか貧困層の生まれになるかで、
全く違った人生が待ち受けている。

裸足で汚れたボロボロの服を着た女性が、小さな子どもを抱えながら
人通りの多い道の片隅に座って掌を天に向けている。
手にお金を置いてくれと呟きながら。私がそこを通るときにはいつもそうしている。
私はそれを見て見ぬふりをする。私は日本人で、多くはないけれど多少マラウィアンよりは
お金を持っている。しかし、ここでお金を渡すことは根本的な解決にはならないと自分に
言い聞かせ、少し歩くとそのことを忘れている。

ここマラウイで私に一体なにができるんだろう。

2011年10月30日日曜日

ここ1週間程体調が芳しくない。
ただの風邪だと思うのだが、なかなか治ってくれない。
またそれ以外にもストレスが体にいろんな形でシグナルを出し始めている。
食べ物や睡眠など、健康面には人一倍気をつかっているつもりなのだが。。

日本にいたときはほとんど体調を崩すことはなかった。
私の感覚的には、おそらくは飲料水が原因ではないかと思っている。
マラウイでは水道水をそのまま飲むことはできない。
必ず煮沸した上で飲まなければならないのだが、煮沸しても嫌な臭いが残る。
それをかき消すためだと思うが、こちらのスーパーにはConcentratedとかSquashと
表示されている飲み物が大量に置かれている。ようは濃縮したジュースである。
それを水に溶かして飲むと嫌な臭いがわからなくなり飲みやすくなる。
でも、元は嫌な臭いのする水。身体にいいわけはないと思う。
私の体調がよくならない原因はここにあるのではないかと思っている。
が、毎回毎回水を買って飲むわけにはいかない。
売ってる水もアタリとハズレがあり、臭って飲めないような水も頻繁。
臭わない水を買うことができたときには幸せを感じるほどだ。
やはり身体が順応してくることを待つしかないのか。

嗚呼、おいしい水が飲みたい。

2011年10月24日月曜日

22/OCT/2011 チェワ語研修最終日とEPA分科会参加

今日で全2週間のチェワ語研修が終わった。
最終日である今日はマーケットに買い物に行ってチェワ語を実際に使ってみようと
いうものだった。チェワ語研修1週間後にも実際にマーケットに行って
チェワ語を実用してみたのだが、その時に比べてかなりチェワ語が自然に口からでるように
なっているのを実感できた。やはり、英語よりもチェワ語を使う方がマラウィアンは喜ぶようだ。
Elementaryに入る以前の子どもに関しては英語教育が始まっていないこともあり、特にチェワ語で
コミュニケーションを図れることがわかると喜ぶ。ただでさえもの珍しげな日本人が自分たちの
言葉を使って話をするのだから当然と言えば当然かもしれないが、その当然の反応が嬉しかった。
この子たちがそれぞれの個性をまっすぐ伸ばすことができるような、そして母国にありながら
外国人に産業を牛耳られ、安い賃金で働かされているこの状況を自分たちの力で打破して
いけるような力を育む教育を目指して頑張っていきたいと思った。 本日16時からはEPA分科会というものがあった。
EPAとはElementary schoolやScondary schoolの教科にあるExpresive artsの略称である。
もしかしたらボランティアのメンバーが勝手にEPAと略しただけかもしれないが。。
EPAは音楽、体育、裁縫、図工などの教科が混在したもので、おそらく学校教育に
取り入れられてからまだ日が浅いものだと思う。
学校でその教科を担当している青少年活動隊員や体育隊員が主要メンバーのようであった。
私も体育隊員であるが参加は任意なので、当分科会に関する情報をもっと仕入れた上で
自分の活動に活かせそうなら参加しようと思っている。
昨日、隔週で飲まなければ行けないマラリア予防薬の2回目を飲んだわけだが、
飲むことにはかなり躊躇いがあった。
というのも、2日連続で悪夢を見たからである。
悪夢はマラリア予防薬の副作用と明示してあるわけだが、まさか本当に見るとは思っていなかった。
マラリアの副作用が嫌で敢えて飲まない人もいるようだ。
どっちのリスクを取るか。悩ましい。。

15/OCT/2011Country tour を終えて

Country tourを終えて、6時間かけてまたLilongweに戻ってきた。
帰ってきたと同時に別の予防接種の関係で飲むことができていなかった
マラリアの予防薬を服用した。この薬はマラリアに割と効くようなのだが、
気分が落ち込んだり、幻覚や悪夢を見たりするといった
副作用を伴うことがあるようだ。
私は昨日服用したのだが、残念ながら悪夢も見なかったし幻覚も見なかった。
気分だっていつも通り。人一倍体が大きいせいか(横に)、
私には副作用は関係なさそうだ。(服用量が足りないのか??)
来週にはまた一週間現地語であるチェワ語の研修が始まる。
今日・明日は11月初旬の赴任前の数少ない休暇なので
新しい生活に必要なものを買い揃えるために買い物に行かなければならない。
マラウイの首都Lilongweでは、ある程度なんでも物が揃う。
世界最貧国の一つと言われているマラウイであるが、
首都とマラウイ最大の商業都市Blantyreには、
そんなことを少しも感じさせない賑わいがある。
ここには、日本の一般的なスーパーと同等と言っても
過言ではない程の食材が揃っているし、
冷蔵庫、レンジ、コンロ、扇風機などの家電も、
ラックトップやプリンター、WiiもPSPも、i podまで手に入れることができる。
さらには、トレーニング器具やプロテイン、各種スポーツ用具や自転車でさえ
手に入る。お金さえあればなんでも手に入れることができる。
しかし、その価格は日本で買うのと同等程度。
マラウィで生活するために必要な最低限の生活費のみを支給されている
私たちJOCVにとってはとても高価なものである。
しかしこの先2年間の生活のことを考えると、冷蔵庫は必要、
コンロは必要、レンジも扇風機もできればほしい。。
ははは。人間、あればほしくなるものなんですね。
電気も水もない家に住む予定の同期隊員はそんなことを考える選択肢さえない。
きっと壮絶な2年間が待ち受けているのであろう。
7月からずっと一緒にやってきたMALAWIメンバーのみんなとの生活も残り僅か。
赴任前までにできることを精いっぱいやろう。

2011年10月20日木曜日

本日の出来事

チェワ後のレッスン(8:00~16:00)


昼食(Beef & Mpunga)
200KW(およそ100円)

2011年10月14日金曜日

12/OCT/2011Country tour DAY3

今日は初めて授業をやった。
授業はAM7:30-AM9:30の2H。(朝早すぎない??)
0限と考えればこんなものかとも思うわけだが。。
こんなに朝早くから授業をやる生活が2年間毎日ぶっ通しで
続くと思うと、なんと大変な道を選択してしまったのだとも
思う。のが正直なところ。でもこれもまた修行か。
20代のうちに大変な思いをしておくことこそがその後の
人生においてとても大切なことだと思っている。

日本に帰った時にはほぼ30歳。…泣ける。。

今日の授業、まさか赴任前の事前訪問で早くも
授業をやることになるなんて思ってもみなかったが、
なんとかそれなりにやりきることができた。
お題はバスケットボール。とりあえずは、ルールもひと通り
心得ていたし、それなりにはプレイできるので
なんとかなる部分も大きかった。
小学高学年の時、バスケットにはまった時期があった。
楽しくて楽しくてしょうがなくそのために早く学校に行きたいと
思っていた時期があったくらいだ。
その時の経験がこうして今に繋がっていると思うと、
なんだかうれしくなる。

マラウィアンの大学生の多くは先生に対して礼儀正しい。
リスペクトの念をしっかり持っているように思う。
私に対してももちろんそういう対応をしてくれる。
私より明らかに年上の学生も同様である。
大変恐縮である。
私としては、大学の先生という立場でありながらも
常に学生と近い存在でありたいと思う。
私が学生から学ばせてもらうことの方がよっぽど
多いだろうから当然と言えば当然だ。

MY OFFICE

11/OCT/2011Country tour DAY2

今日もZOMBAからDOMASIまでの片道30分の道のりをミニバスに乗って移動。
今日も気候は快適。だれだろう、マラウイが暑いところだと言ったのは。
気候に関して言えば、日本より快適に思える。気候に関してだけ言えば。。 今日もギュウギュウ詰込みのミニバスに揺られて大学へ。
今日は私が住む予定の家の室内を見ることができる日。
早速朝一でお願いし見に行ったわけだが、それはそれはコンクリートで固められた
無機質なところで、冷たく、薄暗い住まいであった。
キッチンにはコンロがあったが、炭で加熱して使う様式のコンロであった。
そのため、煙突がついている。サンタさんも通り抜けられないような炭だらけの
汚い煙突が。
風呂場はシャワーだけ。トイレはちゃんと洋式のがありひと安心。
中には穴だけの住まいもあるとのことなので、きれいとは言えないがそこは我慢。
あとは寝室が3部屋ある。
こんな場所でもよければ、だれか泊まりに来てください。







寝室が2つあいているので。寝袋持参ね(笑)
無機質すぎる冷たく薄暗い住まいをどうにかするために、
塗装も多少やってくれるとのこと。まともな精神状態を保つために必要なことなので
是非是非とお願いしておいた。
キャンパスであるが、昨日の第一印象は小さい!だったが、中に入ってみると割と広い。
今日も何度か迷子になってしまったくらいだ。それは私の方向音痴に問題があると
捉えるべきではあるが。。
あとは明日の授業準備。
さあ、いよいよ本番だ。がんばってみよう。

10/OCT/2011Country tour DAY1

今日は待ちに待ったcountry tour 1日目。
ZOMBAよりミニバスを捕まえて30分でDOMASIへ。
ミニバスに途中乗ってきた女性の人が鶏を持ちながら
入ってきてビックリ。自分の席の真ん前に座ったのはいいが、
鶏を赤ん坊を抱っこするみたいに抱えているものだから、
鶏の顔が目と鼻の先でなんだかものすごく怖い思いをした。 DOMASIに着いてからは日本人の教師らしい振る舞いを
心掛けた方がいいような気がして、とりあえず背筋を伸ばして歩き(苦手)、
すれ違う人に当たりかまわずHelloと言う。私は11月からこの周辺に住む日本人で、
皆さんには危害がありませんよ、という意味も込めての挨拶のつもり。
やはり途中”チャンチン”と声を掛けられることもあったけれど、
I'm Japanese! と言ってニコッと笑ってやれば何のことはない。
マラウィアンの顔も自然に綻ぶ。
バスデポから徒歩10分でDomasi College of Educationに着く。
大学の敷地内にはElementary SchoolとSecondary Schoolが併設しており、
その前を通って大学に向かう。
大学に着いたときに思ったことは、大学にしてはやたらと小さいな、ということ。
しかし、レンガ作りのそれなりにしっかりとした建物で少し安心。
始めに校長のところへ挨拶に。副校長もやってきた。
お二方とも優しい感じの方で、親切にしてくれ、ひと安心。
校長に挨拶を済ませた他、早速だが授業を見たいということと、私が住む予定の家の
状況(特に安全面)を見せてもらいたいということを話したら快諾してくださった。
家は、今日は外見しかみることが出来ないとのことだが一応見ることができた。
キレイな家だとか、立派だとかは聞いていたが、実際はそうでもなかった。
窓は割れて風通しがよくなっていたし、網戸は破れていたし、設置することが
義務付られているバッグラバー(鉄格子)も一つとして設置されていなかった。
少し残念に思い、担当者にいろいろ話を聞いたら、全て修理してキレイに
してくれるとのこと。ま、信じるしかない。




明日、室内も見せてもらえるとのことなのでそれも楽しみにしようと思う。
授業は、早速カウンターパートの授業が見れるとあってワクワク。
シラバスが欲しいと言ったがないと言われ、中長期的な授業計画も
見えない状態ではあるが、一応きて早々カウンターパートの授業を見ることが
できることをラッキーに思い授業に出席した。
授業は座学。生徒は大学1年生がおおよそ15人といったところか。
講座名はわからなかったが、『体育・スポーツ概論』にあたる授業だと思う。
とにかくカウンターパートのしゃべることしゃべること。
とんでもなく早い進み具合で2時間ぶっ通しの授業が終わった。
英語がネックで理解が追いつかず、ただただ不安が募る結果となってしまった。
授業が終わりofficeに戻ると(カウンターパートと同じoffice(2人きり))、
次のUNITはやってねと言われ、明後日バスケットボール概論を担当することに。
早速の授業に戸惑いを隠せないが、いずれこれからやることと腹をくくり、
はてさてどうやって教えようかと考え中。
大変な2年間になりそうだ。

10/OCT/2011Country tour

今日はCountry tour出発の日。
Country tourとは、この先2年間務めることになる任地への赴任前訪問のこと。
現地への行き方他、宿泊先の確保も含め自分で決め、一人で行くことになる。
私としては不安ももちろんあるが、2年間務める職場と住まいがみれるとあって
楽しみにしている部分が大きい。
朝一番で研修場所の首都Liongweを発ち、5時間の長距離バスでZOMBAという都市までいく。
ZOMBAは元首都で現在もマラウイで第4の都市と言われている。
私が赴任するところであるDOMASIとはミニバスで約30分という位置関係。
ZOMBAにはシニア(SV;SENIOR VOLUNTEER)の先輩隊員がいて、
今回はそこに泊めさせて頂くことになった。今はそこでブログを書いている。
ここは兎にも角にも広い。写真を見て頂ければこのすごさがわかるであろう。





シニアと私たち(JOCV;JAPAN OVERSEAS COOPERATION VOLUNTEER)は
根本的に何か違うようであり、毎月の住居費も生活費も支度金も、
何もかも規模が異なっている。
JOCVはと言えば、任地によっては本当に電気も水道もなく井戸までも遠い
ような家に住んでいる人もいて、しかもそれが25歳くらいの女性だと言うから驚きである。
しかし、任地によって状況が異なることはやむを得ないことでもあり、
私自身もある程度は納得している。
そして例え私がそういうところに住むことになったとしても、腹をくくっているつもりである。
何て言ったってここはリアルアフリカと言われる最貧国の一つ、マラウイなのだから。

2011年10月6日木曜日

MONI!

Moni!!
昨日から現地語の勉強がはじまった。
マラウイ南部の言語はチェワ語。
任地によっては現地語で仕事をする人もいるとのこと。
マラウイでは公用語である英語を小学入学と同時に勉強し始めるらしく、
小学入学前の子どもたちは英語を使うことができない。
”青少年活動”等の職種は小学入学前の子どもも対象になるため(おそらく..)
チェワ語を勉強する必要がありそうだ。
先輩協力隊員の中にはチェワ語を使いこなして仕事をしている方もいるらしい。
私はと言えば配属先が大学であるため、公用語の英語が使用言語になる。
しかし、大学を一歩でればそこはマラウイ南部の田舎町。
チェワ語が使えると現地の人と親しくなりやすいらしく、マラウイでの生活を安全で
より充実したものにするためにはチェワ語を習得した方がよさそうだ。
ここで少しチェワ語の紹介を。
チェワ語で自己紹介をしてみます。
Moni.(Hello)
Muli bwanji?(How are you?)
Dzina langa ndi Keita.(I am Keita)
Nndimachokera ku Japan.(I come from Japan)
Ndine P.E.teacher.(I am a P.E.teacher)
Ndimagwira ntchito ku Domashi college of education.
(I work in Domashi college of education)
こんな感じになります。
ちなみに...
Zikomo kwambiri は Thank you very much.
Chabwino は OK.
Pepani は Sorry.
Osadandaula は Don't worry.
英語とは全く異なるので習得が大変そうです。
挨拶や簡単な日常会話だけでも習得できればと思っています。

2011年10月3日月曜日

OLD TOWN

マラウイに到着した日のことである。
「初日にして寝言で英語を話していたよ」
とルームメイトに言われた。
実は自分は英語が自由に話せるんじゃないかと
有り得ないことを思ってしまったがそんなことは残念ながらありえない。。
今、当然のことながら英語で酷く苦労している。
これから仕事が始まるとなるとこれどころじゃないのであろう。

【一昨日の日記】
こっちにきて初めてのFREEの日をもらった。
と言っても目覚めたのは5時半。
いつも起きる時間にしっかりと目が覚めてしまった。
せっかく早起きしたわけだし、いつも通り天気がいいので洗濯をした。
なんかいい一日のはじまりだなぁと思った。
昼前に食事も兼ねて、こっちで危険とされているスポットに3人で偵察に行った。
いずれは1人でも自由に行けるようにならなければならない場所でもあるので
意を決して行ってみた。場所の名前はOLD TOWN。
2日前に一度車に乗って通った場所。その時は車を降りたくないと思ったのが
正直なところだ。人通りがかなり多く大変賑わっている。人混みの中を
クラクションを鳴らしながら無理矢理車が通っており、またよくスリがある場所でもある。
なるべく軽装にして、所持金も盗られてもいい金額のみにし行くことにした。
しかし、車や人に注意を払いながら歩いているとそれほど怖いところではなかった。
マラウィアンはニコニコしながら気軽に挨拶してくれるし、
店で買い物をした時、Zicomo!(現地語(チェワ語)でありがとうの意)と言えば
満面の笑みを見せてくれる。
クラクションをガンガンに鳴らしながら無理矢理通っていく車もニコニコしながら
手を振ってくれる。
たまに”チャンチン”と言われ、これは中国人を指す言葉である種の差別用語
ともとれるのだが、マラウィアンは決してそういう意味で声を掛けているわけでもなさそうで、
ただ声を掛けてコミュニケーションをとりたいがために声を掛けているようである。
実際のところはわからないが。。
ただ、マラウイでは中国人があまりいいように思われていないような気はする。
何故かはまだよくわからない。
ただ、日本人だということがわかると余計に喜ばれていることは確かである。
しばらく歩いていると、チャイニーズ雑貨屋さんがあったので入ってみた。
ここでは電化製品も大変充実していて、TOSHIBAの製品もあった。
と一瞬思ったのだが、実はTOSHIKOという製品であった。
また、私の好きな香水も売っており、CKがあると思ったらOKという製品であった。
お金持ちと思われるのは危険なので写真を撮ることができなかったのが大変残念である。
今回歩いてみて割と大丈夫だと思ったことは確かであるが、
それでも町を歩く時は気を抜かないようにしようと思う。

2011年9月30日金曜日

Malawi滞在4日目

今日もマラウイはいい天気です。
毎日こういい天気だとやはり気分がいいです。
マラウイアンはいつも笑顔で挨拶してくれます。
マラウイのために頑張りたいという想いも
日に日に強まっているような気がします。


 昨日の夕飯はみんなでキッチンに集まって自炊してみました。
私は米が大好きなので米を炊いてみました。
チキンも正体不明のスパイスで焼いてみましたが美味でした。
こっちはチキンがうまいみたいです。

昨日はこっちにきて初めて洗濯をしてみました。
もちろん手洗い。
気付いたら洗濯バケツの中に大量のアリが浮いていました。
どこから入ってきたかは不明。
これから楽しい洗濯ライフが待っていそうです。

2011年9月29日木曜日

マラウイ到着!

マラウイ到着!
無事着きました。

マラウイの気候は驚くほど快適です。
ただ、砂埃がまっていて大変です。
あと、物価が驚くほど高いです。
日本とあまり変わらないのではないかというほどです。
マラウイの人たちはいったいどうやって生活をしているのか。。
謎です。

今は首都リロングウェにいます。
ここで1ヶ月、同じマラウイ隊員と共に生活をし、
マラウイに関する様々なことを実体験します。
昨日からマラウイ特有のミニバスに乗って移動しております。
重量オーバーは当たり前。
詰め込めるだけ詰め込まれて移動となります。

今、マラウイのJICA事務所でネットつないでます。
宿泊所ではネットがつながらないのですが、
ここに来た時には更新するようにします!


成田空港にて出発直前の記念撮影。
みんな無事に帰ってこよう!

受配電設備@マラウイ
マラウイでも電気はあります!(不安定)

 
これから 1ヶ月間宿泊する部屋
意外とキレイでいい意味で裏切られました。
蚊帳は穴だらけだったので日本から持ってきた
ビニールテープで補修しました。

 部屋のバスとトイレ
シャワーを浴びていたら隣のベットルームまで水浸しに。。

 マラウイで主食のシマ。
ベチャベチャしててあまり美味しくはありませんでした。さい先不安も
シマとセットでついていたチキンは絶品!!

マラリアの検査にトライ。多少熱っぽかったので
多少不安でしたが陰性でした。

以上、今のところ大きなハプニングはナシ。

2011年9月25日日曜日

明日出発、今の心境。

いよいよ明日出発となりました。
何か、まだ自分がアフリカに行くことが
信じられないような状態です。

今は楽しみよりも不安の方が大きく、
若干恐れさえ感じています。
しかし、未知の世界というのは怖いものなので、
こういう状態になるのは当然といえば当然なのかもしれません。

今回のこれは、私の人生の中で間違いなく
最も大きな挑戦の一つになります。
そのスタート位置に立っている今この複雑な心境をも楽しみつつ、
やるからには精一杯、たくさんの夢と希望を持って
マラウイに旅立ちたいと思います。

皆さんの支えがあって今この場に立つことができていることをよく噛み締め、
せっかく得たチャンスを使って思いっきり自分らしく活きてきたいと思います。

皆さん、本当にありがとうございます。
行ってきます。

2011年9月6日火曜日

マラウイに行くにあたっての誓い。

① 命を大切にすること

② 楽しく生きること

③ 自分の進む道、選んだ道に自信を持つこと

大事な人からもらった言葉。
ここに誓います。

2011年9月5日月曜日

最終試験結果

ようやく最終試験が終わった。

結果は合格。

マラウイに行けることが確定した。
2ヶ月間やってきたことが身を結んで良かったとホッとしている。
しかし、実際はようやくスタート地点に立ったと言ったところ。
英語もまだまだ言いたいことも言えない状態だし、これからが本番。
一か月後にはもうマラウイにいることになる。
なんだか信じられない。
一度も海外に行ったことないわけだし。
でも確実にその日はやってくる。
計画的に準備を進めようと思う。

KTCライフでやり残しているイベントはただ一つ。
壮行会のサルサダンスショー。
簡単なステップのみではあるが未経験者には酷。
それでも練習を繰り返してそれなりにはできるようになった。
あとは本番でパートナーの足を踏まないようにだけ気をつけて
めいっぱい楽しみたいと思う。

昨日2年後掘り起すタイムカプセル用に自分宛てに手紙を書いた。
自分への手紙なんて、何て書いたらいいのかわかんないだろうと
思っていたけど、実際書き始めると筆が止まらない。
自分宛てとのこともあって文字も文章の構成もめちゃくちゃだが、
書くこと自体を楽しんでいた。2年後の成長しているであろう
自分を想像しながら期待を込めて書いたから楽しかったのだと思う。
実際どうなるかは誰にもわからないところではあるが、
兎にも角にも無事に帰ってきてこの手紙を読める日を楽しみにしたいと思う。

2011年9月1日木曜日

公用パスポート

今日公用パスポート入手。
マラウイ出発まで1ヶ月をきっていよいよなんだなという
期待と不安、最終試験前の緊張感が入り混じって
なんかいろいろ疲れている。
これまで2ヶ月間やってきたことも、最終試験をパスしないことには
全くの意味をなさないことになってしまう。
最後の一週間、気を引き締めていこうと思う。

2011年8月31日水曜日

サルサ

KTCライフもいよいよエンディング。
最終日前日には壮行会があるのだが、
そこで隊員による出し物が企画されている。
体育祭も頑張ったし、もうイベントは参加しなくても
いいかなと思っていた矢先に、サルサのパートナーを
依頼されて結局でることに。。
確かに私と踊る女性はさぞかし小さく見えて都合がいいのだろう。
相手の足を踏まないようにがんばります。
私に踏まれたらただじゃ済まないだろうから。。

2011年8月25日木曜日

最終プレゼン終了

今日で英語のみで授業するプレゼンが全て終わった。
準備が大変だったがとてもいい勉強になったと思っている。

CLASS 1 bollerball
CLASS 2 basketball
CLASS 3 RICE procedure
CLASS 4 football
CLASS 5 heat injury
CLASS 6 HIV infection and AIDS

任国に行ったらほぼ毎日授業だ。(と要請書に記載されている)
大変かもしれないけれど、保健体育のプロフェッショナルになれるよう精進したい。

まずは授業で教えている最中にペンのキャップを無意味に開け閉めして
カチカチ音を出す癖をなおさなければならない。。

2011年8月23日火曜日

23-2 KTC体育祭(20110821)

綱引き(1)

綱引き(2)

体育祭実行委員会スタッフ

うちあげ後


怪我もなく無事成功!
委員長としてはこれが一番心配だっただけにひと安心。

何もないところから何かを作る営みの中で
たくさんのことを学んだ。
自分の弱点もよくわかった。
任国に行ってから活かせる大事な経験になった。
何よりもたくさんの友達ができた。
これが一番の財産。


2011年8月19日金曜日

【特別イベント】 地球のステージ

8/12に【特別イベント】地球のステージが開催された。

世界で起こっている様々な出来事を大画面のビデオ・スライドに映し出し
語りと曲で構成していく「映像と音楽のシンクロ」ステージであった。

医師である桑山紀彦さんが各所で出会った人たちとのふれあいから
自信の活動を通して国際協力とは何か、ボランティアとは何かについて表現した。

国際協力やボランティアに関しては、だいぶイメージがクリアになってきたが
実際はまだよくわかっていない部分が多い。
現地に行って自分がどのように任国の方と触合っていくかはとても重要なことである。
現地の方との振る舞い方である。次第にクリアにしていきたい。


NPO法人 地球のステージ
http://www.e-stageone.org/  

2011年8月8日月曜日

出発予定日時

期日 : 9/26(月)
時間 : (秘)

成田→香港→ヨハネスブルク→マラウイ(所要時間25時間)

日本マラウイ協会から連絡がきました。

マラウイ関係テレビ番組のお知らせ

 マラウイ関係のテレビ番組が放送されますのでお知らせします。

1.日 時  8月11日 21:00~22:24(の一部)

2.放送局  テレビ東京 系列 

3.番組名  和風総本家「日本という名の惑星」

4.内 容  世界から見ると日本はどんな国なのか?
       アフリカ・マラウイのテレビ局が初めて制作する“日本の旅番組”
       の取材に密着。日本は馴染みがあるというマラウイ国民。しかしそ
       のイメージは「日本食といえば“侍スパゲティ”」「ブルース・
       リーが有名」…実際はどんな国かよく知らないようです。
       取材を通して知った日本…その時彼らは何を思うのでしょうか?
       どんな番組にしてマラウイの国民に伝えるのでしょうか?世界から
       見た日本をご紹介。

       番組ホームページ(テレビ大阪制作)
        http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
         (このページの下部に詳しく書かれています)  

2011年8月7日日曜日

生きるし、活きる。

仕事をしていた時になかった心の余裕を
研修に入ってようやく持てるようになってきた。
その中でこれまで考えることができなかったことを
いろいろ考えるようになった。

社会人になってからはそうもいかなかったが、
学生時代まで自分は競技人生の中に生活を置いて
生きてきた。競技人生そのものが自分の人生であった。
それはそれでよかった。誰しも人生の中でそういう時期が
必要なんだと思う。私にとっては円盤投げがそうであった。

しかし、今はどうか。いろんな事情があり、自分は企業に勤めることを選択し、
自分の生活の中に円盤投げを位置付けるようになってから、
今まで気が付かなかったいろんなことに気付き始めた。
自分の専門は体育である。これは紛れもない事実である。
しかし、私は企業に勤めることを選択した。そこには確かにいろいろな
事情があった。自分の中ではそれをうまく消化したつもりだった。
しかし、実は、企業に勤めることを選択した最も大きな理由の一つに
なり得る事実を今の今まで自分の中に隠していただけであった。
それは、自分が人と本気で正面から向き合った経験がほとんどなく、
また、そういう状況自体を無意識のうちに避けたがっているということである。
こういう人間は教育現場には不向きだと思う。

教育は何らかの手段を用いて人を今の状態から違う状態に変えることである。
人を変えることには相当量のエネルギーがいる。中途半端では人はなかなか
変わらない。人の忘れていくものである。だとしたら継続的な教育的取り組みが
どうしても必要になってくる。その分膨大なエネルギーを必要とする。

また、相手に変化をもたらすには相手の良いところも悪いところも知り、なおかつ
相手に伝える必要もある。誰しも自分の悪いところを指摘されることは気持ちいい
ことではない。でも、伝えないことは本当の優しさではない。それはみんなわかっている。
でも、関係が壊れるのを恐れたり、自分が嫌われるのを恐れたりして、重要な一歩を
なかなか踏み出せない。しかし、教育者たるものは、生徒の将来のためであれば、
自分が嫌われ役になれなければならない。自分が犠牲になれなければならない。

自分にはその覚悟がなかった。だから、実は体育教師にならなかったのではなく、
なれなかったのだと思っている。

今、この活動は自分を変えるチャンスだと思う。
体育がどうのこうのは関係なく、自分のことは二の次にして相手のためになれる人を
かっこいいと思うし、尊敬する。
そういう人になれるように、この2年間活動をしていきたいと思う。

2011年8月4日木曜日

明日中間試験

今週は大変な一週間だった。
英語のみで体育の授業を一昨日と今日の2回行った。
一昨日は中学生を想定したバレーボールの授業で
今日は中学生を想定したバスケットボールの授業。
授業の組み立て方自体にはそんなに苦労していないが、
なにせ、英語が口からでてこない。。
明日は中間試験がある。朝から15時頃まで拘束されて
みっちり試験。ここの結果次第では外出禁止になることも
あるようだ。。

特にここ2日間で急激に疲れを感じるようになった。
周りにも体調を崩して講座に出席できない人も出始めてきた。
ここが踏ん張りどころといったところか。

2011年7月29日金曜日

体育祭実行委員長。

結局立候補し決定。

大変な日々になりそうだ。
(スッタフ約20名。参加希望者約111名。)

異文化体験

今日はある異文化体験ゲームをやった。
貿易ゲームと似通った部分もあったが、貿易ゲームに比べ
より協力隊としての視点に立ったゲームと言える。

ここで学んだことを消化し切っている協力隊員が果たして何人
いるだろうかと思うくらい理解の仕方が難しいゲームであったと思う。

ゲームの詳細な内容は貿易ゲーム同様書けないことになっているが
私なりに感じたことをまとめてみたい。

まず、自分が異文化の国へ行く際には相手国の情報をある程度把握
しておくことが必要であると感じた。何も知らないことが一番恐ろしい
結果を招く可能性があると感じたからである。
また、相手にとって自分がどのように映るかを意識しつつ行動する
必要があると感じた。自分にとってはそんなに価値のないことやものが
実は相手国の人たちにとってとても価値のあるものである可能性が
あるからだ。それを知らないことが危険を招くことにもなるし、
自分が相手国に行かなければ犯罪者にならなかった人を犯罪者に
する可能性だってあるということを周知しておく必要があると感じた。

また、自分が相手国に行くにあたり、自分のことをよく知っておくべきだと
思った。自分が相手国に行った際には、相手国のルールに従わなければ
ならない部分がある。しかし、全て従わなくてはならないかと言えば、
そういうわけでもない気がする。自分のアイデンティティをしっかり主張
していい部分もあると思う。そもそも自分が派遣される理由は、自分が
相手国に行くことで相手国側に何らかの変化をもたらせることである。
それ故に、自分と相手国側との差異を明確に示し、その差について
理解し合うやら差異を埋めるやらの議論をすればいいと思う。

最後に、、
マラウイの人は時間にルーズで時間を守らないと過去の隊員の報告書に
記載があった。それについてマラウィアンは、これがマラウィアンの文化なのだから
それを受け入れろと隊員に言ったらしい。

時間を守らないことははたして文化なのか。。
それとも、習慣もしくは慣習なのか。。

みなさんはこの違いがお分かりだろうか。
私はマラウイに出発する前にこれに対する明確な答えを用意しなければならない。

2011年7月28日木曜日

所外活動その1

今日は一日中所外活動の日であった。
所外活動とは、一日中老人ホームや農家に行って普段とは異なる環境下で
どのようにふるまい人々の役に立つかを実践する場である。

私は農家を選択したが、農家はたくさんあり、その中のどこに派遣されるかは
JICA側が決める。結果、椎茸とじゃが芋を作っている農家にお世話してもらうことになった。

朝バスで行き、到着し、あいさつを済ませ作業に移った。作業はとにかく単純。
ただひたすら椎茸置き場となっている鉄パイプをカネダワシで洗う。たったこれだけの
作業なのだが、鉄パイプの量がすごい。結局一日それだけに費やすこととなった。

作業の合間に何度か休憩時間があり、そこで農家の方とお話しする機会があった。
農家の現状のありのままの姿を知ることができたと思っている。
私はそこに光り輝くものを見出すことができなかった。絶望しかなかった。
想像してほしい。想像すればなんとなくわかることだから。
世の中の表と裏を日頃から認識している人ならなんとなくわかることだから。
このような農家は世の中に星の数ほどいるのだろうと思った。
そして、どうすることもできない現状をただただ生きていくしか道がない人が
数多くいることを再認識することとなった。

しかし、自分の中に生まれたこのモヤモヤは一体何なのか。。
希望を持たない人を見て非難をすることは実に容易い。
今自分の中にあるものはこの類のものに近いような気がする。
こんな時、自分は自分のことが嫌になる。
自分が自分のことをどんなにご立派と思っているかわからないが実に烏滸がましい。
自分がもし相手と同じ環境に生まれ育ったとしたら自分はどうなっていただろうか。
自分だってそうなっていたのではないだろうか。

今日行った農家とは既に関係ないが、
世の中には能力を持つ人と持たない人がいる。
それは、生まれる場所、育つ場所、周りの人間など環境に大きく左右される。
自分がもしマラウイに生まれていたら、毎日食べるものに困らずに暮らせただろうか。
自分がもしマラウイに生まれていたら、ちゃんとした教育を受けられたのだろうか。
ボランティアスピリットとは、こんなところから生まれてくるのではないかと思う。
それと同時に、常日頃こういった感覚を持ち続けることはかなり難しいことでもあると思っている。
が、これまた訓練。日々研鑚していこうと思う。

2011年7月27日水曜日

体育祭

派遣前研修では毎回体育祭が開催されているらしく、
今回も開催することが決まった。
毎回体育隊員を中心として実行委員を立ち上げ、準備をし、
開催されているらしい。そして、今回の183人の隊員中、
体育隊員は私以外には新卒の女性一人のみである。
なんとなくではあるが、私が中心となって準備を進めて
いかなければならないような雰囲気が漂っている。気がする。
実行委員長を決めるのは明後日であるが、この雰囲気のまま
勢い半分で実行委員長を努めてみようかとも思っているが。。

体育隊員としては、体育祭のような大きなイベントのマネジメントも
重要な役割の一つになり得る。今回は現地マラウイで開催する前の
予行練習と言ったところであろうか。体育隊員の腕の見せ処であり、
自分の力を試す良い機会だと思っている。

せっかくやるのであれば、私以外の182人の隊員が現地に行ったときに
転用可能なもの(大がかりな道具を使わない、みんなが楽しめる)を
企画したいと思っている。

2011年7月24日日曜日

アダナ

研修が始まってはや3週間がたとうとしている。
月日が経つのは随分と早い。

最近明らかになったことがある。

私には多くの呼び名があるということである。
つまり、アダナである。

裏でいろんなアダナが勝手につけられ、日常的に
使われているようなのである。

ハルク、キューティーハルク、シュレック、ダンベル兄さん…

ハルクとシュレックは緑のTシャツをきていた私にも否があるため
受け入れるが、キューティーはよくわからない。。

アダナをつけられることは嬉しいことでもあるが、
実名をなかなか覚えてもらえないことは非常に悲しい。

2011年7月21日木曜日

一日の流れ

05:45 起床
06:20 ジョギング(1.8km)
07:00 朝の集い(ラジオ体操)
07:20 朝食
08:40 課業(語学)
11:40 昼食
13:00 課業(語学)
15:00 課業(各種講座)
17:00 課業終了
17:45 夕食
18:15 自主計画時間(自主学習,自主講座,ミーティング,運動他)
23:00 消灯

2011年7月19日火曜日

TLA拡大

研修所全域でインターネットの接続問題が勃発ししばらくネットが
使えなかったがようやくの夕方使えるようになった。

ここ約2日間ネットが使えなくなって思ったことがある。
TVはなくても全く問題ないが、ネットが繋がらなくなると
みんな騒ぎ出す、ということである。
もはやネットはTV以上の存在価値を持っていると言っても
過言ではないのではないだろうか。

それとは別に、研修所では今週ちょっとした動きがあった。
研修所入所当初からのルールであったTARGET LANGUAGE AREA
(略してTLA)が語学教室のみから、語学教室棟全域に拡大した。
つまり、私の場合、TARGET LANGUAGEである英語のみを
使用しなければならない範囲が語学教室棟全域まで拡大したと
いうことである。TLAは研修期間中徐々に拡大していき、
最終的には研修所全域で日本語を話すことを禁じられることになる。

今週、私は幾分か無口になっているようだ。


約2週間後からは、英語のみを使った保健および体育の授業を6回
行わなければならず、今は保健体育の学習指導要領や中高の教科書で
基礎知識の再確認をしたり、専門用語を調べたりと準備を進めている。
これからは時間との勝負になりそうだ。空き時間を見つけては勉強、
という雰囲気にいよいよなってきた。TIME MANEGEMENTをしっかりして、
着実に力をつけていきたい。

2011年7月17日日曜日

観光~光前寺~

光前寺

光苔

苔の絨毯

あるべき授業の姿

昨日、懇親会が終わった後、友達と懇親会の打ち上げをした。
(またしてもノンアルコールビールであるが。。)

話した内容は、あるべき授業の姿。
自分の場合は、保健体育の授業。
現地では体育の実技より保健の授業の方が多く求められるらしいので、
保健の授業を想定して話をした。
今、日本で多く見られる授業は、教師が一方的に話し、生徒が受け身姿勢で
聞いている授業であると思う。果たしてそれがいい授業と言えるのか。。
それを評価する一つの指標として、私たちがどれだけその内容を今も覚えて
いるか、もしくはそこで学んだことをどれだけ今役立てられているかということが
挙げられると思う。私は、多くの人は覚えていないのではないだろうかと思う。
受験科目でもない保健の内容を真剣に覚えようとする児童・生徒が果たして
どれだけいるものか、とも思う。
(別に本来受験のために勉強しているわけではないとは思うが。。)
では、覚えるためには、または学んだことをその後の人生において直接的に
役立てるためにはどういう授業を展開するべきなのか。

体育の実技の授業で児童・生徒の運動時間をできるだけ多くとることを意識するように、
保健の授業でも、児童・生徒が主体的に活動している時間をできる限り多くとるように
するべきなのだ。特に、私が派遣されるのは教員養成大学であり、いずれ教員になる、
もしくは現職で教員をやっている人たちが生徒になるわけなので、なおさらである。
実際に生徒に授業をやらせ、授業のほとんど全てを生徒の主体的な活動にあてがい、
私は軌道修正だけを行えばそれでいいと思っている。教師が頑張るほど生徒のために
ならないのであれば、教師は我慢して頑張らない方がいい。当たり前のことではあるが、
全ては生徒のためを第一に考えた授業でなくてはならない。私の役目は、私の生徒になる
現職教員だけを見るのでなく、彼らが現場に戻ったときに教えることになる生徒のことを
考えた授業を展開することである。と考えると、私の責任範囲はとてつもなく広い。

教育が人をつくる。その重責を担うにあたり、今後もあるべき授業、あるべき教師の姿に
ついて議論を深めていきたいと思う。

2011年7月16日土曜日

懇親会幹事完遂

今日は自分の生活班の懇親会を私が幹事になって行った。

懇親会と言っても、ただの一般的に知られているような飲み会には敢えてしなかった。
ここが特殊な環境であることを考慮し、本来の目的を達成する上で隊員の多くが
望んでいることをこの機会を使って形にしたいと思った。
多くの隊員が望んでいることとは。。

研修は今日で11日目。既に1/6が経過することになる。
参加者は様々な任国に様々な職種で行くことになる22人。
1/6を経過した時点で一通りの生活リズムが体に馴染み始め、
これからの研修生活により前向きに取り組もうとしている隊員が多い。
その反面、全くのゼロから学ぶ語学に明け暮れる日々で既に身も心も
消耗し始めている隊員がいることも確かである。
私たちには65日という期限があり、その期限の中である一定水準の
語学力やその他の素養を身につけなければならず、中には大変大きな
ストレスを感じている隊員もいるようである。今このような状況の中で多くの人が
求めていることは、同じ目標をもった仲間がいることを認識することであり、
お互い励ましあい、協力しあうことであると強く感じている。
であれば、この懇親会を、やりようによってはそのきっかけの一つにすることもできるし、
結果的には付加的な効果をもたらすこともできる。と思って、思考錯誤した結果、
ノンアルコールのアイスブレイキング手法を使った、ゲームスタイルの懇親会にしてみようと思った。
場所は芝がひいてある研修所の中庭。道具を使わずにでもできる上、青年ボランティアに
溶け込みにくいシニアボランティアの方々にも楽しんでもらえるよう全員参加型のゲームを
取り入れ、なおかつ隊員のそれぞれが現地に行ったときに即座に使えるものを用意し提供した。
結果、思った以上に反響は大きく、シニアボランティア隊員の方々からも本当に楽しかったと
言ってもらえた。素直にうれしいと思えた。同時に、大きな自信にもなった。

たかが懇親会かもしれないが、されど懇親会。
一つのイベントの立ち上げから終わりまでを全て自分が中心となって指揮をとり
まとめあげることにはそれなりの労力がいるが、終わったとき、”楽しかった”、
”ありがとう”と言ってもらえた時にはこの上ない充実感を味わうことができる。

今度はウエイトトレーニング講座でも開催してみようと思う。
もちろん、語学の勉強も頑張ります。

2011年7月10日日曜日

初休暇

研修は基本的に祝日関係なく月~土曜まで行われる。
休日は日曜だけ。
ということで、休日の今日は駒ヶ根の町にくり出してみた。
駒ヶ根と言えば、「ソースかつ丼」。
ただただ単純に...うまかったぁ。


明日からまた、がんばろ。

2011年7月9日土曜日

貿易ゲームで世界を知る

研修では、毎日語学だけではなく、各種講座も展開される。
今日行ったのは「貿易ゲーム」。
参加型のゲームである貿易ゲームを通して世界経済の動きを疑似体験し、
そこに存在する諸問題について考えるゲームである。
何をやるのか最初は全く見えなかったが、このゲームが終わったとき、
世界の縮図を知ることになった。
ここでこれ以上詳細な説明はしないが、自分が今後思い出せるように
キーワードを並べるとすると、「自由貿易と経済格差」、「お金」「生産設備」
「資源」「ブランドと品質」と言ったところである。

自分はたまたま豊かな日本に生まれ育ってきた。
マラウイの人たちはたまたま世界でも最貧国と言われるマラウイに生まれ育ってきた。
そのことを決して忘れてはいけないと感じた。

そして、マラウイの人々が真にほしいものはお金でもモノでもなく、
ボランティアという形の援助なのだと強く感じた。

今持っている、大海の一滴に徹することへの想いをいつまでも忘れずに
活動していきたい。

2011年7月7日木曜日

入所式

今日は入所式だった。
本研修に参加する上で必要な心構えの再確認が
できたと思っている。

やはり最重要視されているのは語学。
研修のほとんどの時間が語学に費やされる。
そして、ある一定のレベルに達しなかった場合は
参加辞退、もしくは次回の研修で再チャレンジになるそうだ。

派遣先の国によっては、英語以外に、スペイン語、フランス語、
シンハラ語、ベンガル語、ウズベク語を一から学ばなければならない隊員もいる。
せめて英語でよかったとつくづく感じる今日この頃である。
それと同時に頑張らなければとも思う。

さっき、夕飯の席で隣になったバングラディッシュに派遣される予定の
新卒の若者男性隊員は、ベンガル語を一から学んで現地での活動可能レベルに
まで引き上げなければならない状況に絶望的な表情を浮かべていた。
特にこれと言った資格を持ち合わせているわけではないため特別に資格の
必要ない職種を捜したところバングラディッシュに行き当たったようだ。
様々な事情があり応募はしたが、自分で希望した派遣国とは言え、要求されるレベルが
余りにも高かったことに絶望感を感じずにはいられなかったようであった。
同じ協力隊員でも、置かれている立場、思っていることはそれぞれなんだなと感じた。

今日は早速語学クラス編成テストが行われた。
(他はわからないが)語学に関しては優秀な人が割と多いようなので
一番下のクラスにだけはならなければいいなと思う。
明日、朝6時半にテストの結果が公表となり、クラスが決まり、
語学授業が開始となる。
まだ生活リズムがうまくつかめていないが、計画的にやるべきことを着実にやっていきたい。

援助の形には様々あるが、ボランティアはその中でも難しい部類に入る。
今日の講和でそう言っていた。なんとなくわかる気もするが、なんとなくわかったくらいじぁ
ダメなんだろうなと思う。マラウイに行ったときに、お前は何しにきたんだと聞かれたとき、
自分がボランティアという立場でそこに派遣されていることを、自分ができることとできない
ことの説明を加えて伝えられる必要があると思う。

なんにせよ、この活動はボランティアに対する個人の気持ちの強さが
その成果を大きく左右するらしい。後に返ってくるものが大きくなるよう、
自分の頑張りがどれだけ成果につながるかもわからないが、
大海の一滴に徹したいと考えている。

2011年7月6日水曜日

派遣前研修開始@駒ヶ根

いよいよ今日から派遣前研修が始まった。
駒ヶ根は多くの人が想像していた通りの山の中で、かなり涼しい。
空調設備が一切ないこの研修所でもなんとかやっていけるのも頷ける。
山の中ではあるけれど、徒歩3分のところにちゃーんとコンビニがある。
ありがたい。今日は早速洗濯用洗剤を買ってきました。

研修所の食事はバイキング形式になっていて、好きなだけとって食べて
いいことになっている。その裏には、「現地(発展途上国)に行けばどうせ
痩せるんだからたんまり食べて太ってください」という意図があるのであろう(私見)。
味は美味しいと感じた。まだ一食しか食べていないからわからないが、
健康を意識したバランスのとれた食事であるように思えた。
(ただ、果物が欲しかったが。。)

風呂は大浴場。15人弱が一度にからだを洗うことができるスペースがあり、
お湯の出もいい。風呂はちょっとぬるめだが、今の時期にはちょうどいい。

部屋は4.5畳一間といったところか。学生の時に住んでいた寮を彷彿させる部分もあるが
はるかにこっちの方がキレイだ。
引越荷物を一通り棚に並べ、学習環境が整ってきた。




明日もまた忙しいスケジュールになるようなので、頑張りたい。

2011年4月16日土曜日

筑波大学競技会出場

筑大競に出場してきた。
記録は47m30程。
完全に投げ不足ではあったが、
心のうちでは最低50mだと思っていた。
でもこれが今の本当の実力なんだろうと思う。
とにかく日本選手権でケツをあわせられればそれでいい。
そのために今何をするべきなのかを考えてその日を迎えたい。

明日、急遽日大記録会に出場することにした。
やはり、円盤を投げることから遠ざかっていたことと試合の雰囲気を
つかめていないことがまずいんだと思う。
その対処として、明日も試合にする。

今日は国士舘の先輩の車に乗せてもらってつくばに行った。
試合が終わり、その帰りに円盤のことをいろいろ話した。
円盤投げにおける技術の評価方法について、
立ち投げとターン投げの位置付け(関連性)について、
円盤投げの指導論について、等々。。

円盤投げを本当の意味でわかっている人は世界でも一握りの人間だけだと思う。
研究も進んでいるとは言い難く、不明確な部分がかなり多い。
これは、円盤投げ自体が回転動作を含む三次元分析を必要とするためであり、
解析とその理解がとても難しいからなのではないかと思っている。

円盤投げを研究する人は、円盤投げに没頭した人間である方が望ましい(私見ではあるが)。
それは、筆者がより現場還元を意識した記述にしようとするためである。
円盤投げの研究は、結局は現場に還元されなければ意味を成さないため、このことは
とても重要なことだと思っている。何より私個人としてほしいのは、世界トップレベルの選手が
必ず持っているであろうこれまでの経験から得た、”円盤はこうしたら飛ぶ!”という技術論。
これは、自分がこれまで日々考え抜き苦労して得た経験知であるため、意図的に外部に
漏らさないようにしているのではないかとも思う。
情報を提示してもらったところでそれを理解して動きに反映できる人がどれだけいるかは不明だが。。

結局は、一番遠くに投げたい人間が一番遠くに投げるんだろうな、と思う。  結局は。。

2011年4月11日月曜日

現職参加届けの行方

今日は人事部との面談をした。
ずっと気にかかってた現職参加届けも
ようやく提出一歩手前まで進んだ。

休職期間は7/6から約2年2ヶ月。
随分長いこと会社から離れることになるわけだが、
戻ってきたら退職するまで会社から離れることがないと考えると
短い期間とも思える。ようは考え方次第。

なにはともあれ、自分にうんと言えるところまで突き詰めてみたい。

2011年4月10日日曜日

約半年ぶりの投げ

今日は会社の先輩に誘われ始めたラグビー練習会に参加。
本日で3回目。
ラグビーは大学1年の時に授業で一度やったが、詳しいルールはほとんど覚えてない。
教えてもらいながらやってるわけだが、これがなかなか難しい。
展開が早過ぎて状況の変化について行けず自分の役目がすぐわからなくなる。
体育専門にしてきてこれは恥ずかしいのだが。。
日本にいるうちにしっかりルールを覚えてマラウイで流行らせたい。

その後約半年ぶりに円盤を投げた。
感触としては...なんとかすれば日本選手権にはギリギリ間に合わせられそうな感じ。
スタンディング40、ターン47くらいで、それぞれ学生時代の練習からは3-4m落ちてる。
これはこれとして受け止めるしかなく、問題は今の現状から
どれだけ力を引き出せるかにある。この過程は決して楽じゃない。嫌いでもないが。
日本選手権は大学2年の時から8年連続出場してきたが、毎回例外なく
特別で独特な雰囲気を感じさせてくれる。年に1回しかないこの大会だが、
この大会に全てを捧げている競技者は少なくないのではないかと思う。
残念ながら今の自分はそれに該当しないが。
この大会には言葉では言い表しきれないたまらない楽しさを感じる。
人生の中で最も充実した時間の一つだと断言できる。

今日は日本選手権男子円盤投げの試合のちょうど2ヶ月前。

とりあえずは来週末今シーズン最初の試合を楽しもう。

2011年4月9日土曜日

この道を決めた理由

昨日、ようやく現職参加届けに会社側から捺印了承頂くための
アポをとることができた。4/11がその日。JICA側への提出は
4/15必着とのことだから、かなりギリギリになったがなんとかなりそうな
ところまでようやく行き着いた。。こんなところで足止めくらうとは、、
さい先不安。。

なにはともあれこれで前に進めるわけだ。
ここであとあとの自分のために協力隊を決めた理由と目的を書いておきたい。
この道、実はいろいろ悩みに悩んで決断した、というわけではない。
一度きりの人生だから後悔したくないと思ってたら既に応募書類を書き始めてた。。
でも目的ははっきりしている。
①これまで体育・スポーツを通じてお世話になってきた分の感謝の意味を込めた社会還元
②自身の人間的成長
③競技への再チャレンジ→自己ベストの更新
果たしてどれだけ達成できるか。

2011年4月3日日曜日

現職参加届け

4/15までにJICAに提出しなければならない書類がある。
『現職参加届け』
震災の影響もあって総務の動きが悪いらしく、
進捗具合がよろしくない。
この書類が提出できないと大変なことになる。
人によっては会社を辞めなければならないことも有り得るとか。
取締役の捺印が必要なのだが、大きな会社だからこそ
時間がかかってもどかしく思えることもある。
とりあえずは、来週フォローするしかないか。

2011年3月21日月曜日

東北大震災、その後

震災で浮き足立った生活を送っている。
テレビはずっと震災の報道。
これは現実なんだろうか、と思ってしまう。

最近たまたまドラゴンヘッドという映画を見た。
地球を襲う未曾有の大災害を舞台にした話。

最近たまたま鹿児島に知人の結婚式に行った際、
人生で初めて生の噴火を見た。

最近たまたま終末のフールという本を読んだ。
3年後に地球に小惑星が衝突。人類滅亡を免れない中で
生きる仙台の人々の話。

そして今この現実。

今日見た夢はこの4つがごちゃごちゃに混在した夢だったと思う。
断片的にしか思い出せないが。。
今朝起きたときどれが現実か、それとも、どれも現実ではないのか、
わからなくなっている状態だった。
テレビをつけて、ようやく現実を判別できた。

こういうことは、自分の身にたまに起こる。
その時には決まって、自分の生きる意味を考えてしまう。
考えても納得のいく結論はでてこないのだが。。
そして、自分の進むべき方向がわからなくなり、
一時的に無気力になる。
あとは、何度か寝て、時間が経てば忘れてしまう。
忙しい環境に自分を放り込むことで生きる意味を考える余裕がなくなり、
通常の自分に戻る。

今日は雨が降っている。
人体への害はほとんど無いそうだが、それでも放射能のことも気になり
外には出たくはないが、無気力なままの自分も好きじゃないので
停電になる前にトレーニングにでも行ってこようと思う。

計画停電とコンビニやスーパーの陳列物の無さが
多少現実味を帯びさせるけど、それは現地の悲惨さを
真に伝えきるものに至っていない。
被災者以外の私たちは地獄を直に見たことがないのだから、
しょうがない。

自分は今自分ができること、やるべきことをやるしかない。
気持ちばかりの義援金を届け、トレーニングをし、マラウイに行くための準備をする。
たまに生きる意味を考える。

2011年3月8日火曜日

マラウイへの第1歩

2011年2月9日、平成22年度秋募集青年海外協力隊合格。
半年前からコツコツ続けてきた活動が身を結んだ。
派遣予定国はマラウイ。ドマシ教員養成大学に派遣され、
中高等学校教員の再訓練、初等教育教員のレベルアップを行うことになる。
1年前の自分には予想できなかったことだ。

参加同意書の提出も済ませ、現職参加届け提出の準備も進んでいる。
そんな今日この日からこれから始まる2年間強の活動内容を記録していこうと思う。