この量に圧倒され、一度手が止まってしまう。
学期末の課題レポート |
20人×5枚/人=100枚 (表紙・引用文献ページ含)
そういえば、人のレポートを評価するのはおそらく初めてである。
とりあえず今日は、客観的な評価ができるように評価基準を作って、
とりあえず今日は、客観的な評価ができるように評価基準を作って、
表紙と引用文献を中心に評価した。赤ペンで容赦なく添削。
評価基準があれば迷うことがなくていい。
客観的な指標を作るのはもちろん、生徒を正当に評価するためであるが、
自己防衛のためでもある。生徒に後から不平不満不服を言われても、
明確な、誰もが納得するような基準があればそれを以て説明できるからだ。
自分で評価基準を作ったのは、大学として基準を持っていないため。
それが日本においても通常のことなのかどうかはわからない。
参考のためにネットで少し調べてみたところ、
日本の大学のレポート評価基準はその担当教師により様々であるため、
担当教師の指示に従うことが重要であると記載されていた。
また、教師が生徒に何を求めているのか、教師の意図をしっかり
汲み取ることが重要である、というようなことが記載されていた。
ほんの一部しか調べていないわけだが、どうやら、
要は教師次第、ということであった。
しかし、ここはマラウイ。
今日、実際に20人分の生徒のレポートの表紙を採点して思った。
必要記載事項の漏れや誤字脱字が目立つな、と。
自分が一学期間受けてきた授業科目名がまるで違っていたり、
私の名前がKETTAになっていたり(うちのウォッチマンも未だに間違えている)、
ひどいものだと、私が課したレポート課題そのものが変わっていたり。。
これでは内容どころではない。
レポート課題が違うのだから内容が合致するわけがない。
だとしたら、やはりまずは体裁からしっかりと身につけさせるべきだと思う。
生徒の学習段階に応じた評価方法を考える場合、
低学年では体裁重視、高学年では内容重視とするのが通常であろう。
当然、内容の重視はしっかりした体裁の上に成り立つ。
…評価の観点から、どう生徒の指導にアプローチしていけばいいんだろう。。
...思考ストップ...
しばらくはこのことで頭を悩ませることになりそうだ。。
他人を評価するということが 一筋縄でいくわけがない
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