私は本学でバレー部のコーチをしている。
一昨日のこと、
なかなか集まらないバレー部の生徒が久しぶりに結構な人数
集まったため、ああだこうだ技術的な指導した。
しかし、私の語学力の問題でなかなかうまく伝わらず、
もともと彼らとの信頼関係が構築できてる段階ではなかったこともあり、
ある一人の生徒が呆れてあまり話しを聞かなくなってしまった。
普段から自己主張の強いなかなか癖のある生徒だとは思っていたが、
昨日の彼の態度は特に顕著だった。
あのコーチのいうことは役に立たない、と判断されたのだろう。
何言ってるかわからないし、みたいな感じで。
その生徒の態度は他の学生に伝染し、
チーム全体の雰囲気まで悪くなったようだった。
しかし私と言えば…、その時何もできなかった。
そしてとりあえずその日の練習が終わり、
夜家に帰ってからもどうしていいかわからなくなり落ち込んだ。
(普段あまり深く落ち込むことはないのだが...)
特にこれと言った解決策も見い出せずに、次の日を迎えた。
今週末、世界ユニバー予選会のマラウイ代表を決める選手選考会が
本学で開催されることもあって、この日も特別にバレー部は練習をした。
しかし、彼らは今週末大事な選考会があることを知っていながら
単なる遊びとしか思えない、完全に腑抜けな練習をしていた。
気合いの気の字も感じられない状態であった。
前の日の悪い雰囲気を引きずっているようであった。
私は前の日に何にもできなかった自分に対するもどかしさと、
このまま生徒が数少ないチャンスを逃してしまうんではないかという
もどかしさでついには我慢できなくなり、話して通じないならと思って
生徒の練習に混じってただただ本気でプレーをした。
別にやけくそになったわけではないが。。
ただ、バレーボールっていうのはこうやってやるんだということを
どうしてもわかってもらいたかった。
どうしても今、本気になってもらいたかった。
私は全力でプレーをしたが、もともとそこまでのスキルを
持ち合わせていないこともあってミスを連発。
しかし、最後まで一切手を抜かず全力のプレーに徹した。
練習後、前の日に一悶着あった生徒の態度が一変していた。
自分はチームみんなのスキルをあげるためにこういう練習がしたいんだけど
どう思うか、とアドバイスまで求めてきた。
気が付いたらチーム全体の雰囲気も変わっていた。
その時、結局は全部自分のせいだったんだと気が付いた。
自分が全力じゃなかったからいけなかったんだと。
それと同時に日本での2カ月の研修時にJICAからもらった
シールのことを思い出した。そのシールにはこう書いてある。
『行き詰まりは環境のせいではない。自分の心の行き詰まりである』と。
まさしくその通りだと思った。
何か問題が起きた時の原因の所在を他に求めるのではなく、
まずは自分に何か原因があるんじゃないかと思わなければいけない。
そんな当たり前のことを完全に忘れていた自分が恥ずかしくなった。
教師と生徒という立場関係がそうさせたのかもしれない。
しかし、どんな立場であろうともいつも謙虚でなくてはいけないという
根本的なところがごっそり抜け落ちてた。
今気付けたことはラッキーだったと思わなければいけないと思う。
あと、約1年4カ月はあるんだから。
以前、このブログでイノベーションに関する本を読んだことについて書いた。
自分が自分を取り巻く周囲の状況を変えたいと思った時、
自分がその変化の一部にならなければ周囲を変えることはできない。
私は既にこのことをその本から学んだはずだった。
日々うまくいかないことは数多くある。
でも、その一つ一つに対して自分がどういう態度をとるべきなのか、
自分がここにいる意味を今一度考えなければいけないと
思わされた一件だった。
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