2012年10月4日木曜日

よく悔やむことと、そこからの学び。

社会人以降、よく悔やむことがある。
それは、学生時代、他のスポーツを専門にする友だちを
たくさんつくっておくべきだったということである。
それができる環境であったのに、その重要性を軽視し
それをしようとしなかったことが今になってとても悔やまれる。

私の学生時代の専門は体育・スポーツであった。
大学入学当初、全国各地から一つの場所に集まる私たち
体育専門学群約200人の中でまず最初に友だち関係を
形成していくのは同じスポーツを専門にするもの同士。
その後、同じ部活動内では友だちの輪が広がっていく。
しかしその先、異なるスポーツを専門にする人同士に
至るまで友だちの輪が広がっていくかと言えば、違う。
それができる人は極端に少なかったように思う。

大学1年の時は特に体育専門学群同学年全員共通の
授業が多かったように思うが、それでもつるんでいたのは
いつも同じメンバー。
同じスポーツを専門にする、
同じ部活動の固定メンバーである。

確かに、居心地がよかったのかもしれない。
部活動で一緒にトレーニングに励み、
その後一緒に夕食を食べに行き、
同じ学生寮に帰り、同じ大浴場で湯に浸かりながら
互いに悩みを打ち明けたり、バカ話をしたり、
夢を語ったりする。
浴場で語り足りなかったら部屋に持ち帰ってまた語らう。
そうやって、また来る明日に向けて生気を養う。
そんな毎日を繰り返していたら、
自然と普段一緒にいるメンバーが固定化されてくるのだろう。

入学当初は、全くの新しい環境で、
しかも初めての一人暮らしだったこともあり、
その生活に慣れるだけでも大変だったことを記憶している。
それはそれでしょうがなかったと思う。

しかし、2年生以降どうだったかというと、
それはしょうがないと言う一言では片づけられない。
私と同じように思っている人を含める私たちは、
自分の専門に浸りきることに没頭する余り、
自分の可能性を広げる作業を二の次にし、
そのまま何時来ることもない機会をミスミス逃してしまった。

より深く掘り下げるには幅を広げることも
必要だということに気付かずに。
幅を広げるための材料が
近くに転がっていることに目を向けずに。

もし、他のスポーツを専門にする友だちの
トレーニングや試合を観ることができていたら、
もし、他のスポーツを専門にする友だちと
互いの競技について語らうことができていたら、
自分相手双方のトレーニングの幅が広がり、
その分これまで到達できなかった深みに達することが
できたかもしれない。そしてそれは互いの
競技の世界が足を踏み入れたことのない領域に
一歩踏み出す礎になっていたかもしれない。

またその影響は私たち自身が現役の競技者から
退いた時にまで及ぶものでもある。
体育専門学群の卒業生で教師になる人は多い。
教師になった時にはもちろん深みも大事だが、
どちらかというと幅が必要になるのではないだろうか。
今私が体育の教師をやっていてヒシヒシと感じることだ。

こんな私でも、以上の後悔から学んだことがある。
もし自分の周りに自分の専門を持つ人間がいたら、
その専門についてよく話しを聞いてみることだ。
その人が、今までの自分の人生にはカスリもしない
専門を持つ人間だとしても、その専門についてよくよく
話しを聞いてみること。自分がこれまで知らなかった
世界を知ることになって、それが幅を広げる作業になる。
そしてそれは、知れば知るほど面白いものだと思う。

幸いにも、青年海外協力隊というのは、
様々なことを専門にしている人たちの集まりだ。
これまで家畜飼育の話なんて聞いたことがなかった。
これまで地質学の話なんて聞いたことがなかった。
これまで野菜栽培の話なんて聞いたことがなかった。
まだまだ序の口しか聞けてない、というか、
聞いても理解できないことばかりでなんだか
聞くのも申し訳ないけれど、こういう話を聞いてると
楽しい。

普段バカばっかりやってるやつが
いざ自分の専門の話となると真剣になったりもして。

その人の専門のことを聞くことで、
相手のことも本当の意味でよく知ることができる
んだろうなとも、思ったり。


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