2012年10月24日水曜日

Teaching Practice - DAY 2



今日のTeaching Practiceの巡回先は
Liwond Community Day Secondary Schoolの1校のみ。
そのため移動は大変楽だったが、ほぼ午前中だけで
立て続けに4人の授業指導を行うことに。
以下は詳細。


科目名 Mathematics(数学)
対 象 Form 1
時 間 7:30 – 8:50 (Double period)
感 想 線と線が交差して成す角の角度について教えていた。
なかなかしっかり教えていたように思うのだが、理数科教師の
目からはどう映るのだろうか。そんなことを考えながら授業を
見ていた。



科目名 Geography(地理学)
対 象 Form 1
時 間 8:50 – 9:30 (Single period)
感 想 風速の授業だった。授業準備もしっかりしてきたようでは
あったが、生徒の惹きつけ方が甘かったように思う。確かに
声の張りが弱く、後ろの生徒が聞いてるんだか聞いてないんだか
わからない時もあった。しかし、一つの教室に100人を詰め
込んでの授業であったし、誰がやってもけっこう難しい
のかもしれないなとも思ったり。色々考えさせられる。
自分だったらどうするだろうかという視点は常に持ち続けたい。



科目名 Physical Science(物理化学)
対 象 Form 1
時 間 9:45 – 11:05 (Double period)
感 想 この教師は一件指導案も授業準備もしっかり
してたように見えたものの、いざ100人の生徒を動かしながら
何かをしようと試みた時にボロがでてしまった。
詰めが甘かったみたいで。結局時間の関係もあり、
100人の生徒を動かす試みは断念していた。
本来はそこまで考えるのが授業準備。
それ以上に気になったのは、チラチラこちら(私)の反応を気にすること。
授業中よく目が合った。そんなに気にしなくたって評価は
変わらないのに…というよりかは、むしろ主役の生徒たちに
もっと目を向けてほしいという面ではマイナスをつけたくなる。。
でも、仕方のない部分もあるはあるのだろう。
確かに、初対面のよくわからない外国人がいきなり自分の職場に
やってきて授業評価をするわけだから、気にならないわけはない。




科目名 English(英語)
対 象 Form 3
時 間 12:00 – 12:40 (Single period)
感 想 ここで対象がForm 3に変わった。Form 3にもなれば
身体つきも変わってくる。一気に大人びる…しかし、
それでも若い。自分も年をとったんだなぁとつくづく思ってしまった。
この教師も指導案・その他授業準備共にしっかりやってたみたいだ。
私自身授業そのものを楽しむことができたし、いい授業だったと思う。


今日受け持った4人はみんな、教師をやってるというだけあって
授業に関してはしっかりやっていたと思う。
同年代くらいの4人組教師なので、良い意味で
相乗効果的なものがあるのかもしれない。
しかし、この4人でも、日本の教師と比較したら穴がたくさん
見えてくる。またその反面、両国の単純比較もどうか、とも思う。
日本人は日本人特有の、マラウィアンにはマラィアン特有の
最適な授業の形と言えるものがあるのではないかと思うからだ。
具体的にどうとか言えるわけではないのだが、
そんな気がするし、その感覚は当たっているのではないかとも思う。
根拠がなくて申し訳ないですが。
何はともあれ、いつもこれだけエネルギー全快で授業を
やってくれてればと願うばかり。
もちろん私もそうします。なんせ修行の身ですから。



そしてそして肝心の、この学校における体育の授業に関してだが…
体育の授業は無く、体育教師もいないとのこと。
また現実を突きつけられた。なんだかんだ言っても
これがマラウイにおける体育の現状。

学校の裏に立派なサッカーコート、バスケットコート、
ネットボールコートがあるにも関わらず使われてる気配がない…
学校に体育がないからじゃないのか?
体育・スポーツを教えられる教師がいないからじゃないのか?
子どもは本来身体を動かしたいものでしょ?

普段のこの学校の状況を見て知ってるわけではないのに、
そーんなことまで思ってしまう。

だって、

特に初等中等教育の期間の生徒の心身の健全な育成には
体育・スポーツは絶大な効果を示すでしょ。
もちろん身体に定期的に適度な負荷をかけることで強い身体を
作ることができるわけだけど、それ以外にも、社会性や情緒性の
向上とかと言ったたくさんの外在的価値を得ることもできる。
これは教育的観点からの考え方だけど。
違う観点からの考え方だと、あるべき姿は、
生徒がその運動自体を目的としてただ楽しみ、
競争とか達成とか表現とかの運動の機能的特性に
触れること。この感覚が自分の生活の中で特にインパクトのある
刺激的なものであれば、それはその人にとってかけがえのない
重要なものになるだろうし、そしたらその運動は
自然にある一定の負荷と継続性を有したまま、
いずれは生活の一部になっていく。
そしたらシメタもの。ただ楽しんでるように見えて、
実はその運動からいろんな恩恵を受けることになるのだから。
体育で特に楽しさを重要視するのはこのため。
その楽しさを伝えられる人が各学校に1人でもいたら、
マラウイの教育はもっと良い方向に変わるんだろうけどなぁ。
やっぱり、今目の前にいる自分の生徒に全力投球するのが
一番なんだろうなぁ、今は。


明日の巡回先は体育やってないかなぁ。


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