今日のTeaching Practiceの巡回先は
Liwond Community Day Secondary Schoolの1校のみ。
そのため移動は大変楽だったが、ほぼ午前中だけで
立て続けに4人の授業指導を行うことに。
以下は詳細。
①
科目名 Mathematics(数学)
対 象 Form 1
時 間 7:30 – 8:50 (Double period)
感 想 線と線が交差して成す角の角度について教えていた。
なかなかしっかり教えていたように思うのだが、理数科教師の
目からはどう映るのだろうか。そんなことを考えながら授業を
見ていた。
②
科目名 Geography(地理学)
対 象 Form 1
時 間 8:50 – 9:30 (Single period)
感 想 風速の授業だった。授業準備もしっかりしてきたようでは
あったが、生徒の惹きつけ方が甘かったように思う。確かに
声の張りが弱く、後ろの生徒が聞いてるんだか聞いてないんだか
わからない時もあった。しかし、一つの教室に100人を詰め
込んでの授業であったし、誰がやってもけっこう難しい
のかもしれないなとも思ったり。色々考えさせられる。
自分だったらどうするだろうかという視点は常に持ち続けたい。
③
科目名 Physical Science(物理化学)
対 象 Form 1
時 間 9:45 – 11:05 (Double period)
感 想 この教師は一件指導案も授業準備もしっかり
してたように見えたものの、いざ100人の生徒を動かしながら
何かをしようと試みた時にボロがでてしまった。
詰めが甘かったみたいで。結局時間の関係もあり、
100人の生徒を動かす試みは断念していた。
本来はそこまで考えるのが授業準備。
それ以上に気になったのは、チラチラこちら(私)の反応を気にすること。
授業中よく目が合った。そんなに気にしなくたって評価は
変わらないのに…というよりかは、むしろ主役の生徒たちに
もっと目を向けてほしいという面ではマイナスをつけたくなる。。
でも、仕方のない部分もあるはあるのだろう。
確かに、初対面のよくわからない外国人がいきなり自分の職場に
やってきて授業評価をするわけだから、気にならないわけはない。
④
科目名 English(英語)
対 象 Form 3
時 間 12:00 – 12:40 (Single period)
感 想 ここで対象がForm 3に変わった。Form 3にもなれば
身体つきも変わってくる。一気に大人びる…しかし、
それでも若い。自分も年をとったんだなぁとつくづく思ってしまった。
この教師も指導案・その他授業準備共にしっかりやってたみたいだ。
私自身授業そのものを楽しむことができたし、いい授業だったと思う。
今日受け持った4人はみんな、教師をやってるというだけあって
授業に関してはしっかりやっていたと思う。
同年代くらいの4人組教師なので、良い意味で
相乗効果的なものがあるのかもしれない。
しかし、この4人でも、日本の教師と比較したら穴がたくさん
見えてくる。またその反面、両国の単純比較もどうか、とも思う。
日本人は日本人特有の、マラウィアンにはマラィアン特有の
最適な授業の形と言えるものがあるのではないかと思うからだ。
具体的にどうとか言えるわけではないのだが、
そんな気がするし、その感覚は当たっているのではないかとも思う。
根拠がなくて申し訳ないですが。
何はともあれ、いつもこれだけエネルギー全快で授業を
やってくれてればと願うばかり。
もちろん私もそうします。なんせ修行の身ですから。
そしてそして肝心の、この学校における体育の授業に関してだが…
体育の授業は無く、体育教師もいないとのこと。
また現実を突きつけられた。なんだかんだ言っても
これがマラウイにおける体育の現状。
学校の裏に立派なサッカーコート、バスケットコート、
ネットボールコートがあるにも関わらず使われてる気配がない…
学校に体育がないからじゃないのか?
体育・スポーツを教えられる教師がいないからじゃないのか?
子どもは本来身体を動かしたいものでしょ?
…
普段のこの学校の状況を見て知ってるわけではないのに、
そーんなことまで思ってしまう。
だって、
特に初等中等教育の期間の生徒の心身の健全な育成には
体育・スポーツは絶大な効果を示すでしょ。
もちろん身体に定期的に適度な負荷をかけることで強い身体を
作ることができるわけだけど、それ以外にも、社会性や情緒性の
向上とかと言ったたくさんの外在的価値を得ることもできる。
これは教育的観点からの考え方だけど。
違う観点からの考え方だと、あるべき姿は、
生徒がその運動自体を目的としてただ楽しみ、
競争とか達成とか表現とかの運動の機能的特性に
触れること。この感覚が自分の生活の中で特にインパクトのある
刺激的なものであれば、それはその人にとってかけがえのない
重要なものになるだろうし、そしたらその運動は
自然にある一定の負荷と継続性を有したまま、
いずれは生活の一部になっていく。
そしたらシメタもの。ただ楽しんでるように見えて、
実はその運動からいろんな恩恵を受けることになるのだから。
体育で特に楽しさを重要視するのはこのため。
その楽しさを伝えられる人が各学校に1人でもいたら、
マラウイの教育はもっと良い方向に変わるんだろうけどなぁ。
やっぱり、今目の前にいる自分の生徒に全力投球するのが
一番なんだろうなぁ、今は。
明日の巡回先は体育やってないかなぁ。
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