2011年7月17日日曜日

あるべき授業の姿

昨日、懇親会が終わった後、友達と懇親会の打ち上げをした。
(またしてもノンアルコールビールであるが。。)

話した内容は、あるべき授業の姿。
自分の場合は、保健体育の授業。
現地では体育の実技より保健の授業の方が多く求められるらしいので、
保健の授業を想定して話をした。
今、日本で多く見られる授業は、教師が一方的に話し、生徒が受け身姿勢で
聞いている授業であると思う。果たしてそれがいい授業と言えるのか。。
それを評価する一つの指標として、私たちがどれだけその内容を今も覚えて
いるか、もしくはそこで学んだことをどれだけ今役立てられているかということが
挙げられると思う。私は、多くの人は覚えていないのではないだろうかと思う。
受験科目でもない保健の内容を真剣に覚えようとする児童・生徒が果たして
どれだけいるものか、とも思う。
(別に本来受験のために勉強しているわけではないとは思うが。。)
では、覚えるためには、または学んだことをその後の人生において直接的に
役立てるためにはどういう授業を展開するべきなのか。

体育の実技の授業で児童・生徒の運動時間をできるだけ多くとることを意識するように、
保健の授業でも、児童・生徒が主体的に活動している時間をできる限り多くとるように
するべきなのだ。特に、私が派遣されるのは教員養成大学であり、いずれ教員になる、
もしくは現職で教員をやっている人たちが生徒になるわけなので、なおさらである。
実際に生徒に授業をやらせ、授業のほとんど全てを生徒の主体的な活動にあてがい、
私は軌道修正だけを行えばそれでいいと思っている。教師が頑張るほど生徒のために
ならないのであれば、教師は我慢して頑張らない方がいい。当たり前のことではあるが、
全ては生徒のためを第一に考えた授業でなくてはならない。私の役目は、私の生徒になる
現職教員だけを見るのでなく、彼らが現場に戻ったときに教えることになる生徒のことを
考えた授業を展開することである。と考えると、私の責任範囲はとてつもなく広い。

教育が人をつくる。その重責を担うにあたり、今後もあるべき授業、あるべき教師の姿に
ついて議論を深めていきたいと思う。

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