2011年10月30日日曜日

ここ1週間程体調が芳しくない。
ただの風邪だと思うのだが、なかなか治ってくれない。
またそれ以外にもストレスが体にいろんな形でシグナルを出し始めている。
食べ物や睡眠など、健康面には人一倍気をつかっているつもりなのだが。。

日本にいたときはほとんど体調を崩すことはなかった。
私の感覚的には、おそらくは飲料水が原因ではないかと思っている。
マラウイでは水道水をそのまま飲むことはできない。
必ず煮沸した上で飲まなければならないのだが、煮沸しても嫌な臭いが残る。
それをかき消すためだと思うが、こちらのスーパーにはConcentratedとかSquashと
表示されている飲み物が大量に置かれている。ようは濃縮したジュースである。
それを水に溶かして飲むと嫌な臭いがわからなくなり飲みやすくなる。
でも、元は嫌な臭いのする水。身体にいいわけはないと思う。
私の体調がよくならない原因はここにあるのではないかと思っている。
が、毎回毎回水を買って飲むわけにはいかない。
売ってる水もアタリとハズレがあり、臭って飲めないような水も頻繁。
臭わない水を買うことができたときには幸せを感じるほどだ。
やはり身体が順応してくることを待つしかないのか。

嗚呼、おいしい水が飲みたい。

2011年10月24日月曜日

22/OCT/2011 チェワ語研修最終日とEPA分科会参加

今日で全2週間のチェワ語研修が終わった。
最終日である今日はマーケットに買い物に行ってチェワ語を実際に使ってみようと
いうものだった。チェワ語研修1週間後にも実際にマーケットに行って
チェワ語を実用してみたのだが、その時に比べてかなりチェワ語が自然に口からでるように
なっているのを実感できた。やはり、英語よりもチェワ語を使う方がマラウィアンは喜ぶようだ。
Elementaryに入る以前の子どもに関しては英語教育が始まっていないこともあり、特にチェワ語で
コミュニケーションを図れることがわかると喜ぶ。ただでさえもの珍しげな日本人が自分たちの
言葉を使って話をするのだから当然と言えば当然かもしれないが、その当然の反応が嬉しかった。
この子たちがそれぞれの個性をまっすぐ伸ばすことができるような、そして母国にありながら
外国人に産業を牛耳られ、安い賃金で働かされているこの状況を自分たちの力で打破して
いけるような力を育む教育を目指して頑張っていきたいと思った。 本日16時からはEPA分科会というものがあった。
EPAとはElementary schoolやScondary schoolの教科にあるExpresive artsの略称である。
もしかしたらボランティアのメンバーが勝手にEPAと略しただけかもしれないが。。
EPAは音楽、体育、裁縫、図工などの教科が混在したもので、おそらく学校教育に
取り入れられてからまだ日が浅いものだと思う。
学校でその教科を担当している青少年活動隊員や体育隊員が主要メンバーのようであった。
私も体育隊員であるが参加は任意なので、当分科会に関する情報をもっと仕入れた上で
自分の活動に活かせそうなら参加しようと思っている。
昨日、隔週で飲まなければ行けないマラリア予防薬の2回目を飲んだわけだが、
飲むことにはかなり躊躇いがあった。
というのも、2日連続で悪夢を見たからである。
悪夢はマラリア予防薬の副作用と明示してあるわけだが、まさか本当に見るとは思っていなかった。
マラリアの副作用が嫌で敢えて飲まない人もいるようだ。
どっちのリスクを取るか。悩ましい。。

15/OCT/2011Country tour を終えて

Country tourを終えて、6時間かけてまたLilongweに戻ってきた。
帰ってきたと同時に別の予防接種の関係で飲むことができていなかった
マラリアの予防薬を服用した。この薬はマラリアに割と効くようなのだが、
気分が落ち込んだり、幻覚や悪夢を見たりするといった
副作用を伴うことがあるようだ。
私は昨日服用したのだが、残念ながら悪夢も見なかったし幻覚も見なかった。
気分だっていつも通り。人一倍体が大きいせいか(横に)、
私には副作用は関係なさそうだ。(服用量が足りないのか??)
来週にはまた一週間現地語であるチェワ語の研修が始まる。
今日・明日は11月初旬の赴任前の数少ない休暇なので
新しい生活に必要なものを買い揃えるために買い物に行かなければならない。
マラウイの首都Lilongweでは、ある程度なんでも物が揃う。
世界最貧国の一つと言われているマラウイであるが、
首都とマラウイ最大の商業都市Blantyreには、
そんなことを少しも感じさせない賑わいがある。
ここには、日本の一般的なスーパーと同等と言っても
過言ではない程の食材が揃っているし、
冷蔵庫、レンジ、コンロ、扇風機などの家電も、
ラックトップやプリンター、WiiもPSPも、i podまで手に入れることができる。
さらには、トレーニング器具やプロテイン、各種スポーツ用具や自転車でさえ
手に入る。お金さえあればなんでも手に入れることができる。
しかし、その価格は日本で買うのと同等程度。
マラウィで生活するために必要な最低限の生活費のみを支給されている
私たちJOCVにとってはとても高価なものである。
しかしこの先2年間の生活のことを考えると、冷蔵庫は必要、
コンロは必要、レンジも扇風機もできればほしい。。
ははは。人間、あればほしくなるものなんですね。
電気も水もない家に住む予定の同期隊員はそんなことを考える選択肢さえない。
きっと壮絶な2年間が待ち受けているのであろう。
7月からずっと一緒にやってきたMALAWIメンバーのみんなとの生活も残り僅か。
赴任前までにできることを精いっぱいやろう。

2011年10月20日木曜日

本日の出来事

チェワ後のレッスン(8:00~16:00)


昼食(Beef & Mpunga)
200KW(およそ100円)

2011年10月14日金曜日

12/OCT/2011Country tour DAY3

今日は初めて授業をやった。
授業はAM7:30-AM9:30の2H。(朝早すぎない??)
0限と考えればこんなものかとも思うわけだが。。
こんなに朝早くから授業をやる生活が2年間毎日ぶっ通しで
続くと思うと、なんと大変な道を選択してしまったのだとも
思う。のが正直なところ。でもこれもまた修行か。
20代のうちに大変な思いをしておくことこそがその後の
人生においてとても大切なことだと思っている。

日本に帰った時にはほぼ30歳。…泣ける。。

今日の授業、まさか赴任前の事前訪問で早くも
授業をやることになるなんて思ってもみなかったが、
なんとかそれなりにやりきることができた。
お題はバスケットボール。とりあえずは、ルールもひと通り
心得ていたし、それなりにはプレイできるので
なんとかなる部分も大きかった。
小学高学年の時、バスケットにはまった時期があった。
楽しくて楽しくてしょうがなくそのために早く学校に行きたいと
思っていた時期があったくらいだ。
その時の経験がこうして今に繋がっていると思うと、
なんだかうれしくなる。

マラウィアンの大学生の多くは先生に対して礼儀正しい。
リスペクトの念をしっかり持っているように思う。
私に対してももちろんそういう対応をしてくれる。
私より明らかに年上の学生も同様である。
大変恐縮である。
私としては、大学の先生という立場でありながらも
常に学生と近い存在でありたいと思う。
私が学生から学ばせてもらうことの方がよっぽど
多いだろうから当然と言えば当然だ。

MY OFFICE

11/OCT/2011Country tour DAY2

今日もZOMBAからDOMASIまでの片道30分の道のりをミニバスに乗って移動。
今日も気候は快適。だれだろう、マラウイが暑いところだと言ったのは。
気候に関して言えば、日本より快適に思える。気候に関してだけ言えば。。 今日もギュウギュウ詰込みのミニバスに揺られて大学へ。
今日は私が住む予定の家の室内を見ることができる日。
早速朝一でお願いし見に行ったわけだが、それはそれはコンクリートで固められた
無機質なところで、冷たく、薄暗い住まいであった。
キッチンにはコンロがあったが、炭で加熱して使う様式のコンロであった。
そのため、煙突がついている。サンタさんも通り抜けられないような炭だらけの
汚い煙突が。
風呂場はシャワーだけ。トイレはちゃんと洋式のがありひと安心。
中には穴だけの住まいもあるとのことなので、きれいとは言えないがそこは我慢。
あとは寝室が3部屋ある。
こんな場所でもよければ、だれか泊まりに来てください。







寝室が2つあいているので。寝袋持参ね(笑)
無機質すぎる冷たく薄暗い住まいをどうにかするために、
塗装も多少やってくれるとのこと。まともな精神状態を保つために必要なことなので
是非是非とお願いしておいた。
キャンパスであるが、昨日の第一印象は小さい!だったが、中に入ってみると割と広い。
今日も何度か迷子になってしまったくらいだ。それは私の方向音痴に問題があると
捉えるべきではあるが。。
あとは明日の授業準備。
さあ、いよいよ本番だ。がんばってみよう。

10/OCT/2011Country tour DAY1

今日は待ちに待ったcountry tour 1日目。
ZOMBAよりミニバスを捕まえて30分でDOMASIへ。
ミニバスに途中乗ってきた女性の人が鶏を持ちながら
入ってきてビックリ。自分の席の真ん前に座ったのはいいが、
鶏を赤ん坊を抱っこするみたいに抱えているものだから、
鶏の顔が目と鼻の先でなんだかものすごく怖い思いをした。 DOMASIに着いてからは日本人の教師らしい振る舞いを
心掛けた方がいいような気がして、とりあえず背筋を伸ばして歩き(苦手)、
すれ違う人に当たりかまわずHelloと言う。私は11月からこの周辺に住む日本人で、
皆さんには危害がありませんよ、という意味も込めての挨拶のつもり。
やはり途中”チャンチン”と声を掛けられることもあったけれど、
I'm Japanese! と言ってニコッと笑ってやれば何のことはない。
マラウィアンの顔も自然に綻ぶ。
バスデポから徒歩10分でDomasi College of Educationに着く。
大学の敷地内にはElementary SchoolとSecondary Schoolが併設しており、
その前を通って大学に向かう。
大学に着いたときに思ったことは、大学にしてはやたらと小さいな、ということ。
しかし、レンガ作りのそれなりにしっかりとした建物で少し安心。
始めに校長のところへ挨拶に。副校長もやってきた。
お二方とも優しい感じの方で、親切にしてくれ、ひと安心。
校長に挨拶を済ませた他、早速だが授業を見たいということと、私が住む予定の家の
状況(特に安全面)を見せてもらいたいということを話したら快諾してくださった。
家は、今日は外見しかみることが出来ないとのことだが一応見ることができた。
キレイな家だとか、立派だとかは聞いていたが、実際はそうでもなかった。
窓は割れて風通しがよくなっていたし、網戸は破れていたし、設置することが
義務付られているバッグラバー(鉄格子)も一つとして設置されていなかった。
少し残念に思い、担当者にいろいろ話を聞いたら、全て修理してキレイに
してくれるとのこと。ま、信じるしかない。




明日、室内も見せてもらえるとのことなのでそれも楽しみにしようと思う。
授業は、早速カウンターパートの授業が見れるとあってワクワク。
シラバスが欲しいと言ったがないと言われ、中長期的な授業計画も
見えない状態ではあるが、一応きて早々カウンターパートの授業を見ることが
できることをラッキーに思い授業に出席した。
授業は座学。生徒は大学1年生がおおよそ15人といったところか。
講座名はわからなかったが、『体育・スポーツ概論』にあたる授業だと思う。
とにかくカウンターパートのしゃべることしゃべること。
とんでもなく早い進み具合で2時間ぶっ通しの授業が終わった。
英語がネックで理解が追いつかず、ただただ不安が募る結果となってしまった。
授業が終わりofficeに戻ると(カウンターパートと同じoffice(2人きり))、
次のUNITはやってねと言われ、明後日バスケットボール概論を担当することに。
早速の授業に戸惑いを隠せないが、いずれこれからやることと腹をくくり、
はてさてどうやって教えようかと考え中。
大変な2年間になりそうだ。

10/OCT/2011Country tour

今日はCountry tour出発の日。
Country tourとは、この先2年間務めることになる任地への赴任前訪問のこと。
現地への行き方他、宿泊先の確保も含め自分で決め、一人で行くことになる。
私としては不安ももちろんあるが、2年間務める職場と住まいがみれるとあって
楽しみにしている部分が大きい。
朝一番で研修場所の首都Liongweを発ち、5時間の長距離バスでZOMBAという都市までいく。
ZOMBAは元首都で現在もマラウイで第4の都市と言われている。
私が赴任するところであるDOMASIとはミニバスで約30分という位置関係。
ZOMBAにはシニア(SV;SENIOR VOLUNTEER)の先輩隊員がいて、
今回はそこに泊めさせて頂くことになった。今はそこでブログを書いている。
ここは兎にも角にも広い。写真を見て頂ければこのすごさがわかるであろう。





シニアと私たち(JOCV;JAPAN OVERSEAS COOPERATION VOLUNTEER)は
根本的に何か違うようであり、毎月の住居費も生活費も支度金も、
何もかも規模が異なっている。
JOCVはと言えば、任地によっては本当に電気も水道もなく井戸までも遠い
ような家に住んでいる人もいて、しかもそれが25歳くらいの女性だと言うから驚きである。
しかし、任地によって状況が異なることはやむを得ないことでもあり、
私自身もある程度は納得している。
そして例え私がそういうところに住むことになったとしても、腹をくくっているつもりである。
何て言ったってここはリアルアフリカと言われる最貧国の一つ、マラウイなのだから。

2011年10月6日木曜日

MONI!

Moni!!
昨日から現地語の勉強がはじまった。
マラウイ南部の言語はチェワ語。
任地によっては現地語で仕事をする人もいるとのこと。
マラウイでは公用語である英語を小学入学と同時に勉強し始めるらしく、
小学入学前の子どもたちは英語を使うことができない。
”青少年活動”等の職種は小学入学前の子どもも対象になるため(おそらく..)
チェワ語を勉強する必要がありそうだ。
先輩協力隊員の中にはチェワ語を使いこなして仕事をしている方もいるらしい。
私はと言えば配属先が大学であるため、公用語の英語が使用言語になる。
しかし、大学を一歩でればそこはマラウイ南部の田舎町。
チェワ語が使えると現地の人と親しくなりやすいらしく、マラウイでの生活を安全で
より充実したものにするためにはチェワ語を習得した方がよさそうだ。
ここで少しチェワ語の紹介を。
チェワ語で自己紹介をしてみます。
Moni.(Hello)
Muli bwanji?(How are you?)
Dzina langa ndi Keita.(I am Keita)
Nndimachokera ku Japan.(I come from Japan)
Ndine P.E.teacher.(I am a P.E.teacher)
Ndimagwira ntchito ku Domashi college of education.
(I work in Domashi college of education)
こんな感じになります。
ちなみに...
Zikomo kwambiri は Thank you very much.
Chabwino は OK.
Pepani は Sorry.
Osadandaula は Don't worry.
英語とは全く異なるので習得が大変そうです。
挨拶や簡単な日常会話だけでも習得できればと思っています。

2011年10月3日月曜日

OLD TOWN

マラウイに到着した日のことである。
「初日にして寝言で英語を話していたよ」
とルームメイトに言われた。
実は自分は英語が自由に話せるんじゃないかと
有り得ないことを思ってしまったがそんなことは残念ながらありえない。。
今、当然のことながら英語で酷く苦労している。
これから仕事が始まるとなるとこれどころじゃないのであろう。

【一昨日の日記】
こっちにきて初めてのFREEの日をもらった。
と言っても目覚めたのは5時半。
いつも起きる時間にしっかりと目が覚めてしまった。
せっかく早起きしたわけだし、いつも通り天気がいいので洗濯をした。
なんかいい一日のはじまりだなぁと思った。
昼前に食事も兼ねて、こっちで危険とされているスポットに3人で偵察に行った。
いずれは1人でも自由に行けるようにならなければならない場所でもあるので
意を決して行ってみた。場所の名前はOLD TOWN。
2日前に一度車に乗って通った場所。その時は車を降りたくないと思ったのが
正直なところだ。人通りがかなり多く大変賑わっている。人混みの中を
クラクションを鳴らしながら無理矢理車が通っており、またよくスリがある場所でもある。
なるべく軽装にして、所持金も盗られてもいい金額のみにし行くことにした。
しかし、車や人に注意を払いながら歩いているとそれほど怖いところではなかった。
マラウィアンはニコニコしながら気軽に挨拶してくれるし、
店で買い物をした時、Zicomo!(現地語(チェワ語)でありがとうの意)と言えば
満面の笑みを見せてくれる。
クラクションをガンガンに鳴らしながら無理矢理通っていく車もニコニコしながら
手を振ってくれる。
たまに”チャンチン”と言われ、これは中国人を指す言葉である種の差別用語
ともとれるのだが、マラウィアンは決してそういう意味で声を掛けているわけでもなさそうで、
ただ声を掛けてコミュニケーションをとりたいがために声を掛けているようである。
実際のところはわからないが。。
ただ、マラウイでは中国人があまりいいように思われていないような気はする。
何故かはまだよくわからない。
ただ、日本人だということがわかると余計に喜ばれていることは確かである。
しばらく歩いていると、チャイニーズ雑貨屋さんがあったので入ってみた。
ここでは電化製品も大変充実していて、TOSHIBAの製品もあった。
と一瞬思ったのだが、実はTOSHIKOという製品であった。
また、私の好きな香水も売っており、CKがあると思ったらOKという製品であった。
お金持ちと思われるのは危険なので写真を撮ることができなかったのが大変残念である。
今回歩いてみて割と大丈夫だと思ったことは確かであるが、
それでも町を歩く時は気を抜かないようにしようと思う。