2011年11月3日木曜日

誰が、変えるのか

赴任延期になり時間がとれた。
この時間を、赴任先に行って自分が何をしたいのかを
まとめる時間にしようと思った。
そのためにはまず、前回BLOGの回答をうやむやのままに
しておくわけにはいかない。何か自分なりに納得のいく答えを
導くためのヒントがないか探してみようと思いDormitoryに
ある本をあれこれあさってみた。が、結果、自分の中で明確な
答えを導き出すまでには至らなかった。
そんなに簡単な問題なわけはない。当たり前だ。

しかし、Dormiで面白い本を見つけることができた。
ソーシャルイノベーションに関する本である。
個人的にイノベーションには興味がある。

本書では、世の中を「単純」なもの、「煩雑」なものとして見るのをやめ、
『複雑』なものとして見なければならないと言っている。
例えば「単純」はケーキを焼くことであり、レシピ通りに作れば
誰にだってだいたい同じものが作れる。
「煩雑」は込み入ってはいるが個々の要素に分解できることを意味しており、
ロケットを月に送ることに例えられている。
そして『複雑』は子どもを育てることに例えられている。
機械のようにコントロールできず、結果が予測できないと。
『複雑性』では双方の『関係』がカギとなっている。
しかし、『関係』は見えにくい。

また、複雑な問題は、ただの煩雑な問題であるかのように混同して扱われることがある。
学校では集団教育の効率を上げるようにできている側面があることは否めない。
生徒には多様な学習スタイルや能力があるとわかっていながらも、そういった部分に
目隠しをし、学習効率の悪い生徒をできない生徒としている部分がある。
教育システムに問題があるとは思わずに。

貧困、治安、教育、環境...世の中には実に多くの問題が山積している。
なんとかしたいと思う気持ちがある一方で、果たしてこの自分に何ができるのか…と思う。
相手は機械のようにコントロールできない。思い通りにはいかない。

しかしだ、

自分が変わることはできる。
そして自分を含む”人”はシステムの一部である。

何かを変えようとすることは、自分自身の変化を受け入れることという逆説。

自分自身がこれまで知らず知らずのうちに作り上げていた壁を、
勇気を持って壊していくことで、相手と相互に『関係』できる状態を作る。
自分も変化のプロセスの一部であることが必要であり、変化の当事者で
ある必要があるということだ。
これが、私が解釈したソーシャルイノベーション。

やるべきことがうっすら見えてきたように思う。
自分のマラウイでの立場、自分の得意分野を駆使して、
間接的にでも訴えられるメッセージはあるはずである。
結果は予測できない。

その問題は『複雑』であるから。

しかし

自分が知る結果だけが全てではない。
自分の行動は予期せぬところに波及するものだから。
だから、ただ大河の一滴に徹したい。

1 件のコメント:

  1. 深いね。私もフィジーに来て感じることがたくさんある。将来自分のやるべきことがはっきり見え始めてきた。自分の使命を明確化して、それを達成するための手段を洗い出し、手段をうまく遂行するために必要なスキルを磨く。じゃあ、そのために今日何をしなければいけないかを逆算すること。これが最近のフィジーでの学びだーー。まだまだスタート地点だがお互い励もう☆

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