2011年12月23日金曜日

国家の品格

という本を読んでみた。その当時なかなか売れた本らしい。
この本は講演記録をもとにしたものらしく、確かに品格のことについて
書いているのに品格に欠ける文章が羅列してあり、講演として聞く分には
確かに面白いと思うが、本にするのはどんなもんかと思った。
それについては筆者自身にも自覚があるようで、本の中でもその件に
触れている。なんて変な人なんだと思った。

論理だけでは今日の社会的荒廃を食い止めることはできない。
日本が世界に誇る情緒と形の文明という国柄をこの手に取り戻さなければ
ならない、というのがこの本の概要である。

私としては、その論理をしっかり表現できるようになった上で大批判を
繰り広げてほしかったのだが、突っ込みどころが満載で読み物として
楽しんでしまいなんとなく読み終えてしまった。
ただ、そんな中でも少し考えさせられる面白い部分があったので
書き留めておきたい。

『ならぬことはならぬ。』

武士道の考え方の一つなのだとか。
要するにこれは「問答無用」だとか「いけないものはいけない」といったことであり、
価値観の押しつけであると言える。これは論理的に説明がつけられないから
しょうがなく生じてくる言葉のようでもあるが、人がなぜ人を殺めてはいけないのかを
例に挙げると多少理解が進む。例えばその人が大量殺人者だとしたら他の命を
守る上ではその殺人者を殺めることが時に正とか善とされる場合がある。
国によっては合法的でもある。しかし、ならぬことはならぬもの。。
ここからは筆者の面白いところ。「論理では証明できないことは押しつけよ。」
この世の中には論理で説明のつかないことが多く、重要なことの多くが
論理では説明がつかない、できないのだという。だから、押しつけよ。
子育ての時には説明など不要。頭ごなしに押し付けてもよい、と言っている。

最近東野圭吾のパラドックス13という本を読んだ。
ブラックホールのなんらかの変化の影響で巨大なエネルギーの波が
地球を襲い、その結果13秒間の時間跳躍が起こる。その範囲は宇宙全体。
それによって知性を伴うものの全てがその13秒間の間に知性を伴わないもの
になった場合、知性を伴わない、つまり存在しない(死んだ)ものは時間跳躍の対象に
ならないため数学的矛盾(パラドックス)が生じ、その矛盾を回避するために
その13秒間の間に死んだものが別世界に転送されると言った内容であった。
時間跳躍の前後で状況の食い違いがあってはならないというのが前提と
されているようであり、宇宙の原則でさえも知性の類をコントロールしきれないのかと
思ったのが印象的であった。もちろんこれはフィクションであるわけだが、
この本を読み終わったときに感じた宇宙大原則の不完全さへの可能性と、
ならぬものはならぬいくつかの事例が自分の中でダブりなんだかおかしな
気持ちになった。

もし機会があれば、読んでみても面白いかと思う。

Holiday

安全連絡協議会と隊員総会が終わってみんな首都から
それぞれの任地にまた戻っていった。
あっという間ではあったが、ゆっくり同期とも話すことができたし
有意義な時間だったと思う。

はてさて任地に戻ってきたばかりではあるが
今日が今年の仕事おさめであった。
Merry Christmas and Happy New Year Holidayは12/23-1/8まで。
実はこの長期休暇があることを昨日初めて知った。
以前授業計画を立てる際に一度年末年始の長期休暇の有無を
カウンターパートに確認していたのだが、
その時はそんなものはないと言われた(気がする)。
なにせ私の語学力が拙いのでなんとも言えないのだが、
海外初経験の私はこの国ではそういうものなのかと素直に受け入れて
年末年始も土日を除いてはみっちり授業計画を入れていた。
しかし、ここにきて2週間強の長期休暇。。
授業計画を組み直さなければならなくなった。元来授業計画に
あまり余裕はなかったのだが、2週間も休みにされるとまるっきり
余裕がなくなる。それどころか終わらせられるのだろうか。。
あー、授業がしたい。。

そして、明日からの2週間をいったいどう過ごしたらいいのだろうか。
入っている予定と言えば、明日の校長主催の忘年会パーティーと
来週月曜の同僚の結婚パーティーへの参加、のみ。

他は何にも入っていない。
予定を入れようにも、(公式行事を除き)マラウイ渡航後3ヶ月間は任地に
留まっていなければならないという規定もあるためまだ身動きがとれない。
 どうやら今年もシングルクリスマスになりそうだ。
30を目前にしてこれは流石にしんどい。
確か去年も仕事とデートしてたっけ。
せめてもの救いは、任地周辺にクリスマスを感じさせる装飾がないこと。
おそらくここでは、クリスマスを堪能するのは一部の富裕層のみなのであろう。
そのため、今年は気が付いた頃にはクリスマスが終わっていた、
ということになりそうだ。


今年は自分にとって冒険の年であった。
これまでの自分にはできなかったことに一歩足を踏み入れた記念すべき
大事な年であったと思う。自分らしくもない行動であったと思っている。
しかし、いざここに来てみると、それがまるで必然であったかのように
普通に生活をしている自分がいる。おかしなものだと思う。
だが、こうやってこういう経験ができているのも、自分を取り巻く環境の
理解があるからであり、実は私がここに来れたのも一筋縄のことではなく
裏で支えてくれている方々の努力があったからこそだということを今一度
心に留めておきたい。

人は頭の中でいろんなことを考え、思っている。
それを行動に移せるかどうかはその人自身の想いの強さに依存するが
周りがそれを許してくれなければ自分が折れるか、自分の環境を変える他ない。
私と言えば前者は可能性として十分にあったにせよ、後者は論外であった。
裏を返せばそれは想いがそれだけのものだったとも言い換えられるかもしれないが、
社会的・経済的な縛りの中で現実的に自分が自由に身動きの取れる範囲内か否かを
考えた結果導き出した自分なりの答えがそれであった。
しかし現に私は今ここにいる。
私が身動きできる範囲を周りの方々が広げてくれたからだ。

心から感謝だ。


【MENU 12/21】
・W-up
・Aerobics 40mins
・Standing discus throw 5
・Full-turn discus throw 5
・Chin-up 10*5

2011年12月13日火曜日

27→28

年末にはJICAの公式行事で隊員総会というのがある。それが今週行われる。

同じマラウイ隊員でも普段滅多に会うことのない隊員が総動員するという。
先輩隊員の活動報告会たるものがあるらしく、それを楽しみにしている。
今後の自分の活動の参考にもなると思う。
自分にとっても、他の隊員にとっても、実りあるものになればと思う。

今日で27歳は終わり。
日本時間ではもう28歳になってる。
高校生のころ、20代後半っていうのはだいぶ大人というイメージを持っていた。
世の中の大凡のシステムとその流れを把握しており、広い視野を持ちつつも
その中で自分の立ち位置がはっきり見えてくる時期なんだろうなと、
その当初感覚としてそんなことを思っていたと思う。

そして今。
現状は自分がよく知っている。

幸い、私には自分を磨く時間があるし、
必要な情報だって入手できない環境にいるわけではない。
日本に帰ったらすぐ30歳。
ここマラウイでどう過ごすべきかをよく考えて悔いのない2年間にしたい。


【MENU 12/12】
・W-up
・Aerobics 40mins
・Standing discus throw 3
・Full-turn discus throw 5
・Chin-up 10*5
・Legs raise 10*1

2011年12月12日月曜日

お隣さんジンバブエという国

もしも今日、インフレを抑えるための政策として、
『国中全ての物価を半分にすること』という政策が打ち出されたら
みなさんはどうするだろう。

おそらく、特売セールと喜び買い物に行ってあらゆるものを
買いあさるのではないだろうか。これは買う側の視点。

では売る側はどうするかと言えば、原価割れで売れば売った分だけ
赤字になるので商品を引っ込める。これが普通だと思う。
引っ込めた商品は闇に回り、高い価格で取引される。
おそらくはこの政策が出される前よりも高い価格で。

物は慢性的に不足した状態になり、医師等の貴重な人財も
生活が苦しくなるため海外に流出する。
国としては崩壊への一途を辿ることは明らか。
しかも、これは影響のほんの一部でしかない。

原価も考えずに物価を半分にしたらこういうことになることは
目に見えている。

しかしこれは、2007年(わずか5年前)にマラウイのお隣
ジンバブエという国で現実に起こったこと。

1960年代以降、アフリカ諸国は次々と植民地からの独立をはたしていった。
ジンバブエもそのうちの一つで、当初は白人大規模農場も黒人零細農家も
高い生産力を持っており、余剰農産物が近隣国に輸出されて外貨収入の
多くを稼ぎ出していたほど完璧に近い農業基盤があったそうだ。
しかし、独立以降、何を思ったか大統領が当初農業基盤の神髄を支えていた
白人大規模農場を武力で差し押さえをした。
ジンバブエの土地を返せ、と言った意味なのであろう。
その後完璧に近かった農業は管理ができない状態になり、腐敗し、
国内に飢えが広まったという。インフレ率は実に16万%超。
卵1個10円だったものが1万6000円になったということ。
とても信じられないが。。

政治家一人の後先考えない言動が国一つを不幸にした事例。
政治、経済に疎い自分がなんだか平和過ぎてて情けなくなった。

2011年12月10日土曜日

赴任先での1ヶ月間

赴任してから1ヶ月が過ぎた。
とにかく生活に慣れることに重きを置いた1ヶ月だった。
だいぶこの生活サイクルをまわすことにも慣れてきて、
円盤投げのトレーニングを本格的に再開したり、
食生活にも工夫の一品を追加したりと少しずつだが
生活も改善に向かっている。

生活が改善に向かう余裕が出てきたら、
自然と本来の活動にも力が入ってくる。

以前、生徒が多くの情報を浴びることの必要性について書いたが、
今私の手元に十分な紙があるのでそれを使って授業ごとにTextを
作り生徒に配布している。とてもTextなしでは伝えきれない情報量である。
Textの大事な部分、わかりづらい部分だけを説明し、それ以外は実際の
生徒の活動(運動)の時間に充てる。日本では当たり前に行われている
授業形態である。が、ここマラウイではそれを敢えて教える必要が
ありそうなのである。

また、私はこういった授業をしていることをその意図も含めてカウンターパートに
伝えるようにしている。私の授業が良いとか悪いとかではなく、
授業が意図的な営みであることを再認識してもらいたいのと、
カウンターパートの持つマラウィアンとしてのフィルターを通したとき
どのようなレスポンスが返ってくるか見たいからである。
今はこれと言ったレスポンスはないが、カウンターパートもまだまだ
私の様子をみている状態なので、今はこれでいいと思う。
ただ、この種のメッセージは引き続き送り続けるようにしたい。

私の授業に話を戻すが、生徒の多くは体育の授業を受け持った経験が
あるようではあるものの、そうとは思えないほど実技ができない。
自身が実技に苦手意識を感じている状態ではたして
教師は自分の授業に実技を積極的に取り入れようとするだろうか。
私はそうは思わない。しかし、体育は実技こそが大事である。
そこでの運動経験が自分にとって楽しいもの、気持ちのいいものであれば、
それは一生涯続く運動習慣に発展する可能性だってあるだろうし、
それはもちろん健康に直結するものになる。

また、身体の使い方、身のこなし方をわかっているだけで、
それは時に自分の命を救うものにもなる。
例えばそれは水泳であるだろうし、例えば後ろ向きに転倒した際に
頭を強打してしまったら大変なことになるが、後転一つ身につけていれば
それを防ぐことだってできる。
それ故に実技が大事だと考えている。

さらには、各種スポーツのルールについても机上での勉強のみでは
深い理解には至らない。それは日本人でも同じこと。
実際に用器具に触れたこともなければ見たこともなく、実際にやったことなんて
あるわけがないスポーツを実技なしで覚えるのは至難の業だと思うし、
覚えたとしても深い理解ではないのでその記憶は長くは続かない。
実技をやりながらルールを理解していく過程では、「では、こういったケースは
どうなるんだろう」と言った疑問が生徒から湧き、授業がより生徒自身の
主体的な取り組みに近づく。本来授業はこうあるべきである。

こういったことから、実技にはかなり力を入れている。
体操競技を教えるときにも、基本姿勢から前転後転や倒立、
ブリッジやアラベスクに至るまで身体を張って見本を示している。
実は私自身ブリッジが大の苦手でほとんどできないのだが、
この授業のときは根性でやった。ちゃんとやれているかは別として。
背面の筋肉が攣って生徒に心配されてしまったが...

しかし、生徒が私の授業を受けることで、本来あるべき授業の姿を
思い描いてくれたらそれは何より嬉しいことだと思う。
そう思ってもらえるような授業をいつも心掛けたい。

隣の家の子ども。
よくうちの木から石を投げてマンゴーをとっている。
こうやって物の投げ方を覚えていくんだろう。
そう、それが投擲だ!

【MENU 12/9】
・Sit up with balance ball (70, 30)
・Push up(50×2)

【MENU 12/10】
・W-up
・Badminton
・Cool-down

2011年12月9日金曜日

W-up

体育の実技の授業で生徒がウォーミングアップをまともにできないのが
前から気になっていた。問題は体操の種類を知らないこと。
それは身体の解剖学的な基礎知識が乏しいことや、
身体を様々に使うような運動経験が乏しいことの延長線上であるように思う。
そのため、とりあえずは体操の種類をできるだけたくさん教えたかった。
で、使ったのはラジオ体操。

英語版の音源も持っていたので自分が見本をして
やらせてみたところ、思った以上に効果があったようだ。
というのも、体操が終わった後拍手喝采。これから主運動が始まるって時に
正直何の拍手だかよくわからなかったが、
自分なりの解釈では『大好評』と受け取っている。
会社での約3年間と駒ヶ根研修時の2ヶ月間、
毎日やったラジオ体操がここで役に立ちよかった。
実技の授業の時にはしばらくこれを使おうかと思う。

ラジオ体操第一では約3分20秒、第二では約3分15秒、トータルでも6分35秒。
この間生徒はずっと身体を動かしていることになる。それなりの短い決まった時間で
ウォーミングアップがしっかりでき、授業時間内の生徒の運動時間の確保にもなる。
ただ、これは運動前に体操をする習慣を意識付けるのと新たな運動感覚としての
体操を経験することで自分の身体への気付きや身体の構造にも
興味を持ってもらいたいという意図があるもので、
ゆくゆくは自分たち独自で効果的な体操を考えられるレベルまでに引き上げたいと
思っている。今の現状から言うと、先は遠いだろうが。

今日授業終わりに生徒に月水金の週3日間朝の5時からダンス(エアロビクス?)を
やっているのだがこないかと誘われた。授業以外にももっと生徒と関わる機会を
増やしたいと思っていた矢先だったので嬉しい誘いではあったが、
朝5時から、しかも週3回ってのが。。
まぁでもどの道最近はトレーニングでの疲れと停電の影響もあり
夜早く寝て朝4時か5時に起きる生活サイクルに既になっていたので
参加してみようかなと思う。ダンスをウォーミングアップ代わりにして
そのまま円盤を投げに行くのもありだし。

今日も仕事が終わってから投げに行ったのだが、
子どもたちが集まってくるとこわくて投げられなくなる。
今日もウォーミングアップが終わった頃に子供たちがグラウンドに現れ始め、
結局立ち投げ3本にフルターン2本しか投げられなかった。
朝に投げればもしかしたら子どもたちを気にせずに好きなだけ
投げられるのではないかと目論見中。


【Today's MENU】
・W-up
・Dead Lift(60*10×3)
・Bench Press(60*10, 60*15, 60*10, 60*6)
・Bent Over Rowing-Shaft(60*8×3)
・Bent Over Two Hands Rowing-Dumbbell(20*10×3)
・Bench Stepping(20*10×4)
-Break(Class)-
・W-up
・Sprint 80*3
・Standing Discus Throw *3
・Full-Turn Discus Throw *2
・Chin-ups 10*5

2011年12月8日木曜日

もう一度円盤投げと向き合う決意

高校入学から僅か一週間後、当時の陸上部の監督に部活動日誌を
提出して戻ってきた日誌に監督のこんな言葉が綴られていた。

「お前は日本一になるかもしれない。可能性は大変高い。
しかし、あくまでも可能性。日本一になって初めて笑える。」

当初の自分の実績と言えば200m・砲丸投げ共に全県大会8位入賞程度。
そして当初は174cm、78kgと言ったところであろう。決して大きいとは言えない。
しかもその監督とは出会ってまだ間もない。僅か一週間前に出会ったばかり。
なぜそんなことがこの時点でわかるのか。
この自分がまさか…。

そう思ったのが本心であった。

今思うと、目標としては最適であったと思える。
届くかもしれないと感じた時もなくはなかった。
実際それを目指していたのは事実。
しかし、現実にはまだなれていない。

社会人になり、気持ちも身体も円盤からどんどん
遠ざかっていくことに抵抗し続けていたつもりだったが、
同時に、その抵抗力が徐々に落ちていくのも感じていた。
会社勤めをしてるんだから・・・と声を掛けられると、その度に
そんな気持ちで円盤を投げているわけではないんだと思っていた。
しかし、次第に円盤が飛ばなくなってくると、
自分の内側からその言葉が出てくるようになっていった。
正直もう終わりかもしれないと思った。

人生の幅を広げるために、自分の理想とする人間に近づくために
協力隊に参加する道を選択したのは事実。
しかしその裏に、未だ達成されていない日本一になるという目標に
もう一度チャレンジしたいという気持ちがあったのもまた事実。
もしかしたら協力隊参加を最終的に決定づけたのは円盤投げかも
しれない。これまでの人生において、私が岐路に立った時
最終的に行先を決めたのは円盤投げだった。
今回もまた円盤。そして、今の自分の人生が好きだ。
マラウイにきても円盤を手放せないわけだ。

私の赴任先のドマシ教員養成大学にはアメリカ人のボランティアも入っている。
彼の名前はパトリック。40歳くらいであろうか。年齢は実はよくわからない。
彼も体育でボランティアにきている。彼の専門は砲丸投げ。
身体は私くらいしかなく砲丸投げ選手としては決して大きくないのだが
Personal Recordは18mだそうだ。これはだいたい日本記録くらいの実力。
また彼はアメリカでオリンピック選手のコーチもしたことがあるらしい。
しかも円盤投げ選手の。。

こんな偶然があろうか。
しかも私が円盤投げの選手だと知るとコーチをしたいと言ってくれた。

私が円盤投げともう一度真剣に向き合う環境がみるみるうちに整ってくる。
投げる場所があり、シャフトといくつかの重りがあり、時間があり、コーチがいる。
あとは自分次第。円盤投げと本気で向き合うのは本当に大変だ。
自分の普段の生活の中に位置づけている円盤投げを
円盤投げ人生の中に生活がある状態にしなければならないからだ。
正直ここまで書いておいてはたして本当にできるのか、自信がない。
まるで、私のこの決定的な弱さを周知している誰かが、
今の私に円盤投げと本気で向き合うだけの勇気が本当にあるのか否か
試しているようだ。

自分の決定的な弱さがその精神性にあることは既知の事実。
自分だからこそ、自分を何度も裏切ってきた自分をよーく知っている。
でも、真剣でなくて何が人生だ。やってやる。
もしできなかったときはみんな笑ってくれ!
そのかわり日本一になったら思いっきり笑ってやる。

2011年12月7日水曜日

家の裏には庭としばらく手が付けられていない畑がある。
畑は雑草で茂っている。その広さはおおよそ100㎡。

昨日家にの鍬(くわ)を持った一人の少年が来た。
どうしたのかと聞くとチェワ語でなにやら話してくる。
チェワ後しか話せないらしい。
表情とジェスチャーを見る限りでは、私の家の使われていない畑を耕して
野菜を栽培したいというようなことを言っているようだった。
イマイチよく理解できていなさそうな私の顔を見て諦めたのか、
どっかに行ってしまった。と、思ったらすぐに帰ってきた。
英語のできる知り合いを通訳として連れて。。

よくよく話を聞くと、お金がなくて困っていると言う。
そのため、私の家の畑を耕して野菜を植えるところまでやるから
その報酬として1,000クワチャ(日本円にして500円)ほしいということだった。
彼には奥さんも子どももいるとのこと。彼の顔は必死に見えた。
少年だと思っていたが実は25歳の青年であった。

彼の野菜栽培の知識や経験がどれほどのものかわからなかったので
少し悩みはしたが、最近もっといろんな物を食べて
しっかり栄養をとらなければと思っていたところだったので
結局お願いすることにした。円盤をもっと遠くに投げたいので。
実際うまく野菜が育つかは怪しい。
しかし、もしうまくいかなくても人助けだと思ったら安い。

彼は畑を途中まで耕したかと思ったら誰かまた別の人を連れてきて何やら
立ち話しを始めた。何かと思って寄ってみると、彼の連れてきた人が
農業の専門家だということがわかった。
やはり実際彼自身にはそんなにたいした知識があったわけではなかったようだ。

その後なんだかんだゴタゴタはあったが、結果的には見栄えのいい畑が
出来上がった。そこに植えたのはじゃが芋、カボチャ、オクラ、ピーマン、ニンジンの
5種類。のはず。定かではない。というのも、彼にはもしマーケットに行って
私の指定した野菜の種が無かったら別のどんな野菜でもいいから買ってきて
植えてくれという頼み方をしたからである。全ての作業を終えて彼に報酬を
支払う時、結局何を植えたのか聞いてみたがよくわからなかった。
チェワ語だったので。というわけで、できてからのお楽しみ。

そして、今日その畑を見たウォッチマンが、自分もメイズ(とうもろこし)を植えたいと
言ってきた。夜だけのウォッチマン。彼の勤務時間は夜6時から朝の6時。
ほとんどが真っ暗な状態でいつ畑を耕すのか。。大変興味深い。

畑の土地はまだ半分以上余っている。はてさてどんな畑に化けるのか、
今後の展開が楽しみだ。

今日は先日家に初めて泊まりにきた友人の影響を受けて
これまで避けていた卵と牛乳を買ってみた。
避けていた理由はなんだか危なさそうだから。
しかし、よくよく考えるとどちらも栄養価が高く、円盤を遠くに投げたい
私にとっては2年間口にしないわけにはいかない食材。
こうして食事は次第に充実してきている。

今は、畑の野菜たちの収穫が楽しみでならない。

家の畑。右手に見える木は私の天敵マンゴーの木。


日本のこくまろカレーを食す。
任期終了で帰国した先輩隊員が送ってくれた逸品。
(友人撮影)
【左】マシュマロ風味野菜スープ。
【右】豆を煮てみた。良質な植物性タンパク質。

2011年12月2日金曜日

どんな色の授業にするか

授業をやっていて思う。
生徒一人ひとりに教科書がほしいと。しかもちゃんとした教科書が。
ここの大学ではここの大学が発行している教科書を使って
だいたいの授業が進められている。教科書がないものに関しては
自分の手持ちの資料かインターネットか図書館で情報を仕入れて
授業準備をするようにとカウンターパートに言われている。
実際カウンターパートも他の教師もそうしているようだ。

しかし、それぞれの手持ちの資料なんかほとんどない上に
インターネットから情報を仕入れるためにはいい情報と悪い情報
(間違った情報or古い情報)を取捨選択しなければならないので
慎重にならざるを得ず、慣れていないと時間がかかる。
その上この接続の遅さ、悪さ。動画はまずDLできない。
また図書館には良書と呼べるものはほとんどない。
あるだけまだいいのかもしれないが、自分が借りてしまったら生徒が
勉強できなくなるなと思ってしまうと正直踏み留まってしまう。

また、既存の教科書があるものに関しても未だに
陸上競技のフライングが2度で失格であったり(今は一度で即失格)、
バドミントンが15points制と記載されていたり(今は21points制)、
卓球が21points制と記載されていたり(今は11points制)と、
とにかく情報が更新されていない。教員養成校がこのレベルである。

とは言っておきながらも実は、今のマラウィアンには
こういった細かな情報の更新よりももっともっと優先されるべきものが
あると最近感じており、以前私はこれを大きな問題として捉えていたが、
今はそれほどでもない。

もっと優先されるべきことは、できるだけ質の高い情報をよく浴びることであり、
それによって人は物事をより深く考えるようになるだろうし、人間やそれを取り囲む
環境の本来あるべき姿が次第に鮮明に見えてくるのではないかと思う。
そしたら、産業を外国人に牛耳られているマラウィアンもこのままではダメで、
自分たちがこの国を創造し、守っていかなくてはならないのだという忘れかけていた
(かどうかはわからないが..)自尊心を取り戻せるのではないかと思う。
そしたら町の路上のゴミも減るのかな、とも。。

またそのことは、人間間の文化や価値観の違いを知覚し、それを受容する
受け皿をつくることにも次第に繋がっていくと思っている。
そしたら、マラウィアンが”チャンチュン”と言って中国人を馬鹿にすることも
少なくなるのではないかと思う。中国だってどういう形かはよくわからないが、
マラウイのためにボランティアを送っている。そのやり方が利己的に過ぎるのか
どうかは定かではないが、そういった背景を知らずとも
それがある種の慣習であるかのように中国人を馬鹿にしている現状がある。
これは大変大きな問題であると思っている。

今の大学教師の授業の多くは、配布資料一切ナシで行われている。
教科書もないのだから情報を浴びる状態からはほど遠い。
生徒に与える情報は教師の口から出た言葉と黒板に書いた文字のみ。
重要事項はひと単語ずつ読み上げ、それを生徒がノートに写す。
「先生待って待って!」というような声があちらこちらから聞こえてきて
その度に時間がもったいないと思っている。
とは言え、こちらでは紙が大変貴重であるようだ。
しかし、滅多に手に入らないものかと言えばそうでもないように思う。
紙として授業資料が先に出来上がっていれば、今の何倍の情報を生徒に伝えられる
だろうかといつも思っている。
今は、限られた時間の中でできる限り多くの情報を生徒に伝えることの重要性と
紙の値段を天秤にかけたら紙の値段の方が重かった、と言った状態である。
明らかにおかしいと思っている自分がおかしいのだろうか。
マラウイにおける紙の価値をまだよくわかっていないからこんなことが言えるのだろうか。
それとも、単に教師側がそれだけの情報量を用意できない状態なのであろうか。
この問題の真因は別に突き止めるとしても、私は今自分が用意できる情報を限られた
時間の中でできるだけ多く伝えられるような授業作りをしていきたいと思っている。


さらに、情報に関して。
マラウィアンは情報の伝達がどうも下手な気がする。
この大学には学長を始め、日本への留学経験がある教師が数名いる。
中には日本で修士号を取得した教師もいて、彼はいつも親しく声を掛けてくれる。
その彼の授業を見させてもらったところ、他の教師と比較し、
確かに授業の展開の仕方が考えられていると思うし、生徒の食いつきも良く感じる。
その教師の人柄もあるのかもしれないが。
しかし、そういった経験値のある教師の知識や知恵を共有する場が
どうやらなさそうなのである。なんとまぁもったいない話かと思う。
しかし、そういう場がないのは、もしかしたらそれを必要としている人間が
いないからなのかもしれない。それが、単に向上心がないからなのか、
時間的余裕がないからなのか、精神的余裕がないからなのかはわからないが。
もしくは開示する側にこういった症状があるのかもしれない。
なにはともあれ、今ある環境を最大限フル活用させる手助けさえできれば、
それだけで大学がガラリと変わるような気がする。
それが難しいのだろうけれど。

とりあえず今はまだ情報収集。まだまだ始まったばかりなので、
しばらくは落ち着いとこうと思う。慎重になるのは得意な方だし。

2011年12月1日木曜日

座右の銘

今日仕事が終わって円盤を投げていた時に久しぶりにふと思い出した。



座右の銘

『今ここで頑張らずにいつ頑張る』

高校の時教頭先生からもらって以来ずっと自分のための言葉。
京都大仙院の和尚さんである尾関宗園という方の言葉だとか。
実にわかりやすくて、それでいて今にも折れそうな心をガッチリ支えてくれる重みを感じる。
これまで、辛い時、苦しい時、挫けそうな時に何度この言葉に助けられたことか。
私にとってそういう時の多くはもちろん円盤投げのトレーニング中であったわけだが、
この言葉があったからこそ最後まで気力を振り絞って追い込みきることもできた。
その積み重ねが今の自分を作っている。この言葉の力はすごい。
きっと、今日この言葉をふと思い出したのも、円盤投げとこの言葉が
私にとっては切っても切れないようなものになっているからなのだと思う。

私は円盤投げを介して本当に多くのことを学んできたと思う。
それは何よりも全力であったからなのだと思う。
とにかく遠くに投げたかった。
とにかく勝ちたかった。
とにかく目立ちたかった。
かなり濃密な時間を過ごしてきたと思う。

しかし、今没頭していることはと言えば...正直これと言ってない。。
マラウイでの活動もまだ始まったばかりで、新しい生活に慣れることで
手一杯になっている状態であり、没頭とまでは到底いかない。

そんな中でも最近思う。
自分の人生は今少し違うステージに移行している時期なのだと。
今ここで何を考え、何に没頭し、何を創造するかによって、
この先の人生が大きく変わるような気がする。
もちろん活動に関わることがベースである。
今の私にはその時間的余裕があるし、行動幅の自由度もある。
ここにくる前、社会人を3年間やってた。その時にはなかったものだ。
時間は本当に大切なもの。

この2年間を充実させるために早いところ何かに没頭し、
濃密な時間を過ごしたいと思う。