2011年12月8日木曜日

もう一度円盤投げと向き合う決意

高校入学から僅か一週間後、当時の陸上部の監督に部活動日誌を
提出して戻ってきた日誌に監督のこんな言葉が綴られていた。

「お前は日本一になるかもしれない。可能性は大変高い。
しかし、あくまでも可能性。日本一になって初めて笑える。」

当初の自分の実績と言えば200m・砲丸投げ共に全県大会8位入賞程度。
そして当初は174cm、78kgと言ったところであろう。決して大きいとは言えない。
しかもその監督とは出会ってまだ間もない。僅か一週間前に出会ったばかり。
なぜそんなことがこの時点でわかるのか。
この自分がまさか…。

そう思ったのが本心であった。

今思うと、目標としては最適であったと思える。
届くかもしれないと感じた時もなくはなかった。
実際それを目指していたのは事実。
しかし、現実にはまだなれていない。

社会人になり、気持ちも身体も円盤からどんどん
遠ざかっていくことに抵抗し続けていたつもりだったが、
同時に、その抵抗力が徐々に落ちていくのも感じていた。
会社勤めをしてるんだから・・・と声を掛けられると、その度に
そんな気持ちで円盤を投げているわけではないんだと思っていた。
しかし、次第に円盤が飛ばなくなってくると、
自分の内側からその言葉が出てくるようになっていった。
正直もう終わりかもしれないと思った。

人生の幅を広げるために、自分の理想とする人間に近づくために
協力隊に参加する道を選択したのは事実。
しかしその裏に、未だ達成されていない日本一になるという目標に
もう一度チャレンジしたいという気持ちがあったのもまた事実。
もしかしたら協力隊参加を最終的に決定づけたのは円盤投げかも
しれない。これまでの人生において、私が岐路に立った時
最終的に行先を決めたのは円盤投げだった。
今回もまた円盤。そして、今の自分の人生が好きだ。
マラウイにきても円盤を手放せないわけだ。

私の赴任先のドマシ教員養成大学にはアメリカ人のボランティアも入っている。
彼の名前はパトリック。40歳くらいであろうか。年齢は実はよくわからない。
彼も体育でボランティアにきている。彼の専門は砲丸投げ。
身体は私くらいしかなく砲丸投げ選手としては決して大きくないのだが
Personal Recordは18mだそうだ。これはだいたい日本記録くらいの実力。
また彼はアメリカでオリンピック選手のコーチもしたことがあるらしい。
しかも円盤投げ選手の。。

こんな偶然があろうか。
しかも私が円盤投げの選手だと知るとコーチをしたいと言ってくれた。

私が円盤投げともう一度真剣に向き合う環境がみるみるうちに整ってくる。
投げる場所があり、シャフトといくつかの重りがあり、時間があり、コーチがいる。
あとは自分次第。円盤投げと本気で向き合うのは本当に大変だ。
自分の普段の生活の中に位置づけている円盤投げを
円盤投げ人生の中に生活がある状態にしなければならないからだ。
正直ここまで書いておいてはたして本当にできるのか、自信がない。
まるで、私のこの決定的な弱さを周知している誰かが、
今の私に円盤投げと本気で向き合うだけの勇気が本当にあるのか否か
試しているようだ。

自分の決定的な弱さがその精神性にあることは既知の事実。
自分だからこそ、自分を何度も裏切ってきた自分をよーく知っている。
でも、真剣でなくて何が人生だ。やってやる。
もしできなかったときはみんな笑ってくれ!
そのかわり日本一になったら思いっきり笑ってやる。

1 件のコメント:

  1. すべてが用意されているストーリーやね。2年後はすべてにおいてレベルアップして帰国やなー。英語もアメリカ英語を学べるチャンスだし。これは、私も負けないように、精進します。世界でモデル活動。これは私も絶対に行ないます。と、同時に自分で経営できるようにどうにかしてチャンスを引き寄せるなり。いつもけーた氏のブログはモチベーションアップになっています。

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